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集団が怖い

単体では毒にも薬にもならない感じなのに、集団になった途端に怖くなる、ということがあります。

寄せ集まって集団外の人にヤジを飛ばしたり
仲間内特有の言葉を使って盛り上がったり
睨みをきかせて他を威圧したりしがちな、集団。

彼らのことが、昔から苦手でした。

一刻も早くそばから離れたい、という気持ちでその場から抜けると一目散に電車に乗って家路につき、車内で1人になってホッとする。

わたしはそんな感じで連休最終日を過ごしております。
本年もよろしくお願いいたします。

他者としての集団もさることながら
自分が集団の中に入るのも好みません。

1人でいるときは決してしないことを、仲間、らしき人たちと一緒にいることで気が大きくなったり調子に乗ったり空気を読んだりして、実行してしまう感じが怖いから。

今思えば、学校というのも恐ろしい場所でした。

グループに属したくない
多数派に回りたくない
目立ちたくない
1人になりたくない
ダサいと思われたくない
いじめられたくない

考えてみれば全部、集団ならではの懸念と言えます。

同じような年齢の、同じように未熟な人間たちがごちゃっと集まるから、あるようなないような差を殊更に囃し立てて上だの下だのやるのだな、と今となっては思いますが、あの頃はただ、動揺して右往左往して必死でした。

わたしはいつだって「ただのわたし」でありたいだけなのです。

過剰に持ち上げられることもなく、媚びへつらうでもなく、フラットな、ただのわたしでいたい。

その実、大衆に流されやすく、身近な他者からの影響を受けやすい自覚もあります。

多数決で負けたら決断が揺らぐし
よく一緒にいる人の口調も口癖もうつる。

だから、集団でいたら確実に自分のままでいられない。
自分を保てない。

それが、怖いのです。

ところで我々ホモサピエンスは、その圧倒的なコミュニケーション能力の高さで他の人類を凌駕し、潰してきた歴史があるかもしれないそうです。

確かに人間は、飛べないし足も遅いし肌も柔らかいし、単体では余りに非力で無防備。
それなのにここまで爆発的に繁殖し、人口過多による食糧難に陥る未来すら見えてきたのは、集団行動のなせる業と言えるでしょう。

恐るべし、コミュニケーション能力。

「単体では毒にも薬にもならない感じなのに、集団になった途端に怖くなる」というのは、生き物としての根源的な警戒心によるものなのかもしれません。

日本で人間をやっていくなら、集団に違和感なく混じれる能力があった方がたぶん、楽です。

でもわたしは残念ながらその力を持ち合わせていなかったので、集団と距離を置き、且つ集団にどっぷり浸からないように生きていきたい。

晴れて大人になったことだし、そんなことも、可能です。たぶん。

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