
若い女でもおばさんでもないおばさん
20代の、所謂「若い女」だったとき、わたしは違和感でいっぱいでした。
求められる振る舞いと自分の本質とが余りにも乖離している、けれどもそこを目指さないと叱られたり怒鳴られたりするものだから、懸命に「普通の若い女」枠に収まるべく、いつも無理して笑って気を遣ってヘトヘトになっていました。
長かった若い女期間が終了し、今は悠々とおばさんライフを楽しんでいます。
わたしはどう振り返ってみても「普通の若い女」への擬態に向いていなかったので、おばさんになってホッとしたというか、生まれてこの方ようやく人心地ついたような思いです。
おばさんであることの利点は数多あります。
例えば、世間一般から外れた意見を口にしても、あまりギョッとされないところ。
若手とは違ってある程度の長い年数、それなりのポリシーを持って生きてきた(っぽい)と周囲に認知されやすい為、みんな知っているらしいことを知らずとも、急に明後日の方向から自論を展開し始めても「まぁ、おばさんだしな」と放っておいてもらえます。
エッ知らないの?まだまだだナァ(^_-)とか
女の子がそんなこと言っちゃ駄目だョ♡とか
余計なことを言われずに、いや、たとい言われても鼻で笑ってどっしりと構えていられる。
おばさんって、なんて楽なのだろう。内心ほくそ笑みながら日々を過ごしていました。
でも最近、いくつかの場面では、自分がおばさんにさえ向いていないことに気付いてしまったのです。
例えば、おばさま集団に放り込まれたとき。
あるいは、おっかさんポジションを託されたとき。
同年代かちょっと上の世代の方々が寄り集まった井戸端会議や、銭湯などでのコミュニティ、町内会の集まり等でよく見られる、堂々とした、ど真ん中のおばさま街道を歩いてきたらしきマジョリティおばさま集団に囲まれると、わたしは一挙に異物と化します。びっくりするほど、うまくやれない。
また、わたしに母性本能という名の能力はありません。1mmも。
だから、ただその場で一番年嵩の女であるというだけの理由で、うっかり「包容力のあるママン」的な位置に立たされると、申し訳なくなるほど悉く、期待に応えられません。
晴れて自他共に認めるおばさんとなったことで、若い女と侮られ、いらん知識をひけらかされたり不当に下に見られてアドバイスされたりすることは確かに減った。けれどもおばさんはおばさんで、お喋り好きか世話好きと決めてかかられがちです。
どちらにも当てはまらない少数派おばさんであるわたしは、どちらの場面に立たされても、毒の沼地に足を踏み入れたが如くにHPを消耗します。
わたしは一匹狼ならぬ一匹おばさん。
一匹のフリーダムおばさんとして放たれている場所でのみ、わたしは心平らかに生息できるのです。