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選ばれる女よりも
本屋さんに行きました。
本屋さんは、用事もなくただぶらぶらしてるだけで楽しい場所です。
ほう、今はこんな本が売れているのかとか、あ、この本文庫化したのか今度買おうとか、
いつも何かしら発見があってホクホクします。
ふと、デヴィ夫人の『選ばれる女におなりなさい』という本が平積みされているのが目に入りました。
これはちょっと、読む気になれない感じのする本です。
食わず嫌いならぬ「読まず嫌い」というやつでしょうか。
一方、
常日頃、わたしはヤホーのニュースに対して「記事は読んでないけど」としつつ、見出しの内容に対して文句をつけるコメントをしている人に違和感があります。
批判するのなら、せめて本文を読むのが礼儀ではないかと思うのです。
表題は気に入らなくても、中身に目を通したら新たな発見がある可能性は十分にあるのに。
また、以前話題になった
『置かれた場所で咲きなさい』も、
題名だけ読んだ段階では
置かれた場所は人それぞれだろ、あなたは偶然いい場所に置かれた(←想像)からいいけど、地獄で生まれた人はどうするんだ!歯を食いしばって何とかここで咲こうとするより、絶対逃げたほうがいいでしょう!人間は花と違って二足歩行できるんだし!
と思ったけど、ためしに読んでみたら随所に学びがありました。
再読の価値無しと判断した本は売りに出したりしますが、『置かれた〜』はまだわたしの本棚に在籍中です。
…
といった信念および経験があるにも関わらず、
『選ばれる女におなりなさい』にはどうにも納得がいきません。
だって「選ばれる」って、男性(「殿方」かな)からってことでしょう?これは副題から見ても、どうやら婚活本のようだし。
やんごとない男性(殿方)から選ばれる為に、人の正解を目がけて努力するなんて、なんか…
なんかやだ(語彙力崩壊)。
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わたしは、自分の好むものを自分の頭で考えて自分で選びとる人でありたいと思っています。
何を選ぶか、何を選ばないかという一つひとつの小さな決断が積もり積もってわたしをわたしたらしめるのであって
わたしはその取捨選択を他者の意思に委ねたくありません。
自分で選んだ結果、それを誰かに認められたり褒められたり好かれたりする。
または嫌われたり怖がられたり距離を置かれたりする。
それでいいんだと思います。
思うようにならなくても、しゃーない。
とか言いつつ、20代くらいまではわたしも、人に好かれたくて右往左往しましたけどねー
30代、40代と歳を重ねるにつけ、楽になる。
大人っていいもんです。