見出し画像

元人気アイドルと自称イケオジの共通点について

「なぜその感じでイケオジ仕草を?」という人をときどき目にします。

身だしなみやお人柄に所謂、難がおありのミドル世代の方が、今をときめく若者に「きみはもうちょっと遊んだほうがいいよ」などと声を掛けていたり、取引先の女性が電話に出たとき「お声で○○さんと分かりましたよ」とイケメンボイスっぽい感じで語りかけていたり。

お若い頃はさぞかし、というような面影があればまだしも、大変失礼ながらその様子は皆無。にも関わらず臆面もなくそのような行動を起こすに至る自信を、一体どこで入手したものか、前々から不思議に思っていたのです。

わたしは、ある仮説を立てました。

モテ経験ゼロだった、からこその
イケオジ仕草なう、なのではないかと。

つまり、これは本心かな、これは打算っぽいなということを見分ける力を養う機会のないまま社会人となり、社会的地位が上がって初めて、社交辞令としての笑顔に触れ、それを「個人的好意」と信じてしまったのではないか。

ここのところ何故かみんなが自分に笑いかけ、「お会いできて嬉しいです」「かっこいいネクタイですね」などと話し掛けてくれる。これはもしやミドルとなったことで、大人の魅力が出てきたということなのかしら?と素直に、都合よく解釈したことで、よし、イケると自信を得、イケオジ仕草を執り行うに至ったのではないか。

件の元人気アイドルの「女性とのトラブル」というのも、もしかしたら背景は似ているかもしれない、と思います。

人気アイドルだったお若い頃は、さぞかしモテ倒されたことでしょう。
誰からも愛され、みんなが自分に好意を寄せるのが当然という認識のまま、自分でも気付かぬ内にミドル世代に突入し、人気絶頂期を知らない若い世代からの、気遣いや尊重、あるいは困惑の笑顔を「個人的好意」と受け取ってしまったのではないか。

ヨイショされ続けることはすなわち、相手が本心では嫌がっている可能性を想像する力を養う機会の損失だったのではないか。

ゼロと無双、経緯は違えど、権力を得、忖度に慣れ、想像力に欠けた者たちの行き着く先は同じだったのではないか。

これはわたしの、ただの仮説です。
まったくの見当違いかもしれません。

ただ、一般市民のわたしでも、書き連ねるのもほとほと嫌になるほど手酷いセクハラを、これまで様々受けてきましたから、華やかな業界ではさぞかし、大小様々な問題があったことと思います。

日本版#MeTooの大きな流れとなるのか、日本社会は膿を出す覚悟があるのか、経緯を見守りたいと思います。

いいなと思ったら応援しよう!