鈍めおばさんの野望
頭の回転は、鈍いほうです。
頭の回転に限らず、割とありとあらゆる分野の能力が低めであることを感じながら過ごしてきました。
走るのは遅いし不格好。
喋るのも不得意ですぐアワアワしてしまう。
記憶力も無いしよく道に迷う。
手先も不器用でいつも段ボールで手を切る。
胆力もなく動揺が顔に出がち。
こんな状態でよく長いこと会社勤めしてんなと思いますが、会社というのはだいたい分業制なので、ギリギリ得意と言えなくもない領域にうまく収まることさえ叶えば「仕事出来る人」扱いしてもらえたりするので、便利です。
逆に、場所を間違えるとコトです。
以前、うっかり全国の売上№1を競うようなサロンの受付業務に就いたときは、常に全方位に気を配り能動的にテキパキと指示を出し続けあわよくば商品を売りつけるという劇的に向いていない仕事を執り行う羽目になり、毎日毎時間毎分失敗し続けたことで、自分が無能であることを嫌というほど思い知らされました。
場所は大事。
置かれた場所で咲けないと思ったら
ためらわずに場所を移るのが吉です。
我々は、動物なのですから。
今は、人見知り率の高い会社の静かな事務所で淡々と自分の担当分の受発注を行っていて、基本的にはギリギリ得意と言えなくもない作業だけで回せるので、なんとかテリトリーを保持し生息を継続することに成功しています。
ただ、繁忙期やトラブル発生で業務量が増えて残業が続くと、ただでさえ高速とは言えない頭の回転が、より鈍くなります。
ときどき、パソコンでファイルを開き過ぎていると、ちょっと行を追加したり語句の修正を入れたりするだけでいちいち引っかかるようになることがありますが、自分の脳があの状態になった感じがします。
CPUが
CPUが…
20代の頃は、そんな状態でも気迫でなんとか押し切っていました。
自分には若さしかないと思っていたし、無能さを見破られたら恥だと思っていたし、世代的に職を失う恐怖に苛まれていたのもあると思います。
笑顔の裏でいつも切羽詰まっていたし、心に余裕がなかったし、余裕なんて持ったらいけないと思っていました。
でも今は、自分の苦手を「苦手」と言える。
失敗談を臆せず人に語れる。
気合いだけでは無理がきかない。
無理がきかないのは、いいことです。
無理なものは無理と、立ち止まったり手放したりすることが出来るから。
これから歳を重ねたら、恐らくもっと無理がきかなくなるのでしょう。
でも、現段階(40代)で既に周りが「まぁ、おばさんだしな」と大目に見てくれているのを感じます。
きっと年老いたら「まぁ、お婆さんだしな」と、だいぶ許される気がする。
その世界って結構いいものなんじゃないかしらと、わたしは若い頃よりも自分の未来に希望を持てているように思うのです。