「インドに行くと人生観変わる」は本当?年収は?恋人は?調査してみました。

はい、結論は巷のアフィブログ同様、「分かりませんでした」なのであるが、ここで言う人生観とはなんなのであろうか?

物理的環境を背景として構築される習慣、思想などの総体=人生観みたいなことだと思っているが、そうだとして、なぜインドに行くとそれが変わるのであろうか?

もちろん、その人生観が自分の現在地とかけ離れているほどいわゆるカルチャーショックはおおきいだろう。インドは確かに日本とはかなり遠い部類に入るとは思う。

一度それまでの自分を構築した環境からかけ離れた場所に立ち、そこから元いた場所、それによって形成されてきた自分を眺める事によって、差異を発見し、明確化された差異の背景にあるハビトゥスを自覚化することによって、自分を知る。自分を知ればより、自分がどこに向かいたいかが明確になる。そういうことだろうか。

であれば、どんな差異を自分は発見しただろうか。そこからどのようなハビトゥスが明確になるであろうか。

まずは、日本に帰ってきた際の気持ち、感覚の言語化を試みようか。

五感で感じた違いは以下。季節の違いもあるが…

・視覚:暗い、色彩が少ない
・聴覚:ガヤガヤしてない。人が多い場所においても何かに統制されたような不気味な静けさ
・嗅覚:有機物の匂いがあまりしない
・味覚:だし、美味い。
・触覚:?

内的な感覚で言うと、(仕事で)胃が重い、エネルギーが萎んでいくような感覚、省エネモードになった、色彩がない、と言うような感じか。

重要なこととしては、上記のエネルギーが萎んだような感覚をデフォルト状態だと思っていた(というか、疑問も持たなかった)事。

現状に適応していくにつれ、知らず知らずのうちに自分の中の感覚が死んでいく、あるいは死んでいた事に気づいた感覚。今の環境が全てだと思い込むと、そこにいる自分も同時に「自分」になってしまう。

極端な話をすると、そのようにしてゆっくり自分の感覚をすり減らしていくのは、「緩慢な自殺」なんだろうけど、そう言う風に現状を維持したままゆるやかに死んでいく事を「決めている」のも自分なんだろう。そして、自分が「決めている」と言う自覚もないままゆっくりと、しかし確実に命をすり減らしながら、なんでもない一日が今日も過ぎていく、そういう状態。

膜が張ったみたいな濁った日常から一時抜け出し、エネルギーに満ちた世界から「元いた世界と自分」を眺めた時に、そこには何があって何がないのか。

15*2

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