父の呪いからの脱出
※以下はかなり重い内容も含むため、苦手な方は読むのを勧めない。それを踏まえて読んで欲しい。
父から受けてしまった呪い
今でも、酷く疲れていたり、ストレスフルな状態に陥ると、あの怪獣のような父親の夢を見る。
それは、ねっとりとまとわりつく様な、息苦しさを伴っていて、非常に不快だ。
日常的な暴力、性暴力というのは、30年以上経った今も、時々私を苦しめる。
当の加害者の父は、もうこの世にいないというのにだ…
10代の後半からカウンセリングに通い、その間に両親の離婚、父を家から追い出して住まい、なんとか色々あったものの、父と物理的に距離を置き続けることができたことで、自分のトラウマと向き合い、これ以上心に深手を負わない様にしたり、自分自身の心の傷を癒すことができた今も、父に呪われ続けている。
ほぼほぼ、夫に出会う前まで、男性恐怖の状態や症状は酷かったと思う。夫と結婚してからも、しばらくその症状は続いたし、何の害もない男性の言動に反応して苦労したりもした。
適度で安心安全な距離感で、様々な男性と知り合う中で得られたもの
とにかく、日常的に虐待があった期間は男性恐怖というより、男性という存在そのものを、正直憎んでいたと思うし、恨んでもいたと思う。
それでも、何とかカウンセリングから始まり、当事者の仲間に出会う、バイト仲間、男性医師や臨床心理士、福祉の職員など、様々なタイプの男性たちと健全に関われたり、適切な距離感の中で男性自身の男性ゆえの苦労話を聞かせてもらったりしたおかげで、悪いのは男だからじゃなく、父が私に向けた悪意だということを学び、本当に少しずつではあったが、男性恐怖が嫌悪になり、不信くらいになり、苦手くらいになり、その人それぞれの相性で、男性が苦手から、苦手なタイプの男性もいるかな?くらいに変わって行った。
夫が私にくれた大切なもの
そんな頃に、夫と出会い、付き合いが始まりだした。
夫には割と付き合いだして、最初の方から父からの性暴力を受けてきたこと、精神科に通いカウンセリングを受けていることは、話した。
多少勇気は必要だったが、その頃は生活保護も受けていたし、仕事も短期バイトだったり、病院のデイケアに通うこともあったから、真剣に付き合うと考えている相手に、隠し事をしても何の得にもならないので、早い段階で打ち明けることにした。
一緒に病院やカウンセリングに付き添ってもらって、主治医やカウンセラーとも話してもらったりもある。
夫にとっては、私が精神疾患であることは付き合う上では、差程、問題じゃなかったらしい。
父とのことを打ち明けた時には、夫はろう者で手話の繋がりで知り合ったので、手話で
「大変だったね、これからは俺が(あなた)を守るよ」
と、ドラマみたいなセリフを伝えてくるので、私は自分事だと思えなかったが、嬉しかったのを覚えている。
「守ってもらえるのは、嬉しいけど、(私が)守られるではなくて、これからはお互いに協力し合って生きて行きたい」
とか、手話で返した記憶がある。
男性恐怖が抜けるまで
それでも、夫が男性であり、身近な存在になっていくことで、日常的に受けた心理的外傷体験(トラウマ記憶)から、その情景が度々蘇ってしまって、夫にキツく当たってしまったりもした。
それでも、夫は優しかったし、引き続き受けていた、カウンセリングや精神科の治療、福祉のおかげで、なんとかその厳しさから、自分を癒していくことができて来たように思う。
何ひとつ、欠けてはいけない存在だった。
夫は、許すとか許さないとかそんなことは微塵も思っていないと思うけれど、私がカウンセリングや精神科の治療、当事者の仲間との交流すること、福祉にお世話になることを、とても自然に受け止めて、受け入れてくれた。
私に必要なものを一切、否定してこなかった。
私が、子供のときは、父はほとんどの私のことを、言葉や暴力で否定してきた。
全て、否定から始まった。
僅かに、母から受け入れ、受け止めてもらっていたから、なんとか母の方を向いて、自己を保っていたように思う。
けれども、その母だって、父のアルコール問題に翻弄されていて、私以外の弟・妹のことで、面倒を見なければいけなくなり、私は構われなくなり、どこか置いてきぼりになってしまっていた。
その、大きく空いた穴は、今でも多分埋まらないのだろう。
だから、そこは、私自身が自分で自己を受容して、人生を豊かにして、埋めていくしかない。
ここまで来たら、他人に埋めてもらうことなど、期待したって仕方がない。
そこをきちんと諦められるくらい、夫が私に愛情を注いでくれた。
男性である父親から受けた傷を、同じと言うととても気味が悪いが…男性である夫に癒されたのかもしれない。
いや、父親は、男でもなんでもない。ただの狂った生き物に成り下がっていた。
性暴力は、男だとか女だとかというより、性暴力そのものが、被害者の心と身体、尊厳を引きちぎる、とても卑劣な行為だと思う。
お互いがそうなろうと決めて、約束を交わし合う、コミニケーションを伴った性行為とは、全く別物だ。
その事が、どうか広く正しく、伝わって行って欲しい。
私の夫は、私がそういう気分や状態に無いときは、無理矢理そういうことをすることは無いし、私からも夫に対してそうだし、それでも私たちは、お互いを性行為以外でも愛情を確認し合うことが出来る。
自分の人生の中で、それを知れたこと、夫からもらえたことは、とても大きい。
相手の期待に全て応えなくても、許されるし、愛されるし、受け止めてもらえること。
当たり前のような気もするけど、私には大切な学びだ。
だから、夫にも、それを少しずつでも教えてくれた、主治医や精神科のスタッフ、当事者の仲間たち、カウンセラー、福祉の人たち、友人、知人、全ての人たち、本たち…それらにとても感謝している。