命の掛からない仕事がしたい
退職して自棄になり酒浸り、薬塗れの二週間の雌伏期間を経て、ようやく正気を取り戻した私は、性懲りもなく幾度目かの人生再起動を図る事とした。
嗚呼、まただよ。うんざりする。皆はそうでもないのだろうか。
此度の、「他職員からの情報共有の不足による、利用者様を死なせかけた一件と、それに伴う自主退職」により、社会保険証を喪失した私は、喪失を証明する為の書類がければ国民健康保険証を受け取ることが出来ないので、キレて辞めた会社に連絡して書類を“手配させた”。
今まで働いてきた職場では、こういう辞め方をしなかったからか、社会保険喪失の証明書はすぐに用意されていたのだが、今回の介護施設は私が連絡するまで手配すらされていない様子だったのだ。おまえ本当にそういう所だぞ。辞めた後まで最悪の対応だ。
ネットで調べたら、会社のこの対応には違法性はないとの事だが、退職した人間を国民健康保険証を受け取れない状況に陥らせることに違法性がないというのは、国民皆保険を謳う国として些かの矛盾があるのではないか、とは思う。おかげで現在は精神科へ行けず煩悶としている。薬が切れたら本当の終わりが来る。空が割れて天使たちが喇叭を吹きまくり、周囲にいる人々に迷惑を掛けまくるタイプの終わりが。
完璧に正気を取り戻しつつある私は、明晰な脳内で予定を組み立てた。直ぐに忘れてしまうのでメモにも書き留めた。以下のような。
後日、喪失証明書が郵送されて来たらすぐに国民健康保険を入手し、真っ先にメンタルヘルスへ行き精神薬の調達と服用。また現在、健康保険証なしで通院している接骨院の支払い分のうち、保険適用分の金額の受け取り手続き。また、電車に乗り町田区役所へ障害者自立支援制度、並びに障害者手帳の再申請の手続き。同時にハローワークへ足を運び再雇用の手続き。七面倒臭い履歴書の作成と証明写真の撮影。公共料金、国民健康保険や住民税の支払い、等々……。金も掛かるし億劫ではあるが、少なくとも自分が何をするべきなのか分かっているというのは精神衛生上、非常に良い事だ。何をするべきなのか誰も理解していない職場を辞めた後ならば殊にそう思う。
今度という今度はもう、高齢者介護は厭だ。高齢者介護が厭というか、人の命の掛かった仕事が厭だ。人の命が掛かっている現場だと理解していない介護士と仕事をするのが厭だ。よほど運に恵まれていたのか、たぶん自分が原因で人を死なせた等の経験が無いから、そういう舐めた態度・姿勢で職務に臨んでいるの連中と組むのが厭だ。人の死という、歴史的にも責任の取り方が未だ曖昧な事柄に相対してヘラヘラと対応している連中が厭だ。そういうド腐れ介護士が死ぬ分には構わないのだが。なぜならばそれの責任を負うのは俺じゃないからな。介護ビジネスへの考え方の相違が他職員と余りに著しい。私がおかしいのかも知れないが。いや、たぶん私がおかしいのだろう。知らない人が死んでも放っておけばよいのだろう。
ともあれ、次の仕事はどうするか。障害者施設での介護ならば出来るかも知れない。偏見ではあるのだが高齢者介護に較べれば人が命を落とす可能性は低い気はする。或いは全く介護とは関係のない、例えば宿直などの仕事とか。自分に職を選べるだけの権利があるのかどうかは不明なので、現段階では何とも言い難い。たまには人の命が掛かっていない仕事がしたい。仕事中に誰も死なないならストレスフリーな気もする。