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 僕は空を飛んでいた。風の流れに身を任せながら体よりも一回り大きな羽を広げ、最小限の体力を消費しながらこの空を飛んでいた。風は弱かったが、一種のカラスとしては空を飛ぶには十分な風だった。

 僕がいる遥か上空には、大きな飛行機が飛んでいた。飛行機の羽は我々のもののように器用に羽ばたいたり風を切ったりすることはできないが、予想外の悪天候を抜きにすれば、我々よりが想像するよりも速く、そして正確に空を飛んでいた。そういう意味では我々よりも器用なのかもしれない。

 僕の羽毛は青かった。生まれたときから青色だった。まるで深海のような絵の具に飛び込んでそのまま出てきたように、僕の羽毛は染まっていた。そんな羽毛のせいか、たまに野良のカラスに出会った時(僕も例に漏れず野良のカラスだったが)、怪訝そうな顔をされて彼らはすぐにどこかへ飛んで行ってしまうことが多くある。たまには、こんなところを飛んでいないでどこか別のところへ行け、といった文句を投げられることもあった。

 彼らは常に群れで行動していた。狩りをするときも、塒から飛び立つときも一種の確かな集団として行動をしていた。僕は群れることを嫌っていたわけではなかったが、漆黒の姿を尊重し、それをあるべき姿として脳に根付いている彼らには、この青い姿を受け入れてくれるような寛容さは微塵も存在していなかった。そういったわけで僕は常に単体で行動し、時には目に付く林に身をおろし、木陰で休むような生活を送っていた。

 あれは太陽の沈む時間が遅くなった時期だった。照る日差しはこれまでに増して強くなり、木陰であっても暑さを感じるようになっていた。僕はいつものように木陰で休んでいたが、より涼しい気候を求め、北へと向かっていた。

 僕は飛ぶことには自信があった。飛行機ほど速くはないが、飛行機よりも正確に飛ぶことはできた。風に身を取られることもなかったし、突然の雷雨に対しても正確に対応することができた。黒いカラスたちの中には、風に身を取られてどこか遠くに飛ばされたり、大雨に打たれいつものように飛ぶことができず、地に身を打ち付けられたものを目にしたことがある。随分と悲惨な情景だったが、そういった奴らに比べたら僕はまともなカラスだった。

 僕はしばらく北へと進んでいた。僕の身は正確に、そして最短距離で北へと向かっていた。どれだけ飛んでいただろう。地上には広大な草原が広がっていた。様々な場所を飛んできたが、この陸地でこんなにひらけた草原を目にしたことはなかった。その草原の周りは大きな森で囲まれており、まるで誰かの思惑で意図的に一部だけ丸く切り取られたように草原が広がっていた。

 ふと目を凝らすと、草原の中に一人の少女の姿が見えた。人間というものも、我々カラスと同様に集団で行動するものだと僕は思っていた。個々で見ると確かに独立した生き物であるが、何かをするときは基本的には何かに属し、何かのコミュニティの一部として形成されるものだと思っていた。彼女もきっとそうなのだろう。そんな想像を抱えながら、気づいた時には僕はその少女のもとに降り立とうとしていた。人間は私たちのことを良いものとして受け入れるようなことは少ないと知っていたが、目にした少女からはそういった気は一切見受けられなかった。僕は彼女の隣に身を下す。

 そよ風が足元の草をなびかせながら、ほのかな花の香りを運んでいる。そこはかなり広大な草原だった。見渡す限り夏の緑の草で覆われており、生い茂った草が僕の足をチクチクと刺す。

 少女の髪は黒く長く、膝が見える程度の丈の真っ白なワンピースを身に纏っている。その横顔には何かを待っていながら、何かに別れを告げているような、そんな表情がうかがえた。

 どこからか飛んできた白い小さな花びらが少女の頬に触れ、何かに気が付いたかのように何度か瞬きをし、初めてこちらに顔を向けた。
「そろそろ来ると思っていたの。」
少女は真っすぐに僕の目を見ながらそう言う。
 なぜ僕がここに来ると知っていたの?
僕は声を出すことができなかった。まるで使い道のない井戸の口を誰かがぴったりと蓋で閉じてしまったように、僕の声は外には出なかった。
「無理して話そうとしなくていいのよ。ここに来るカラスはみんなそうだから。」
僕には少女の言っていることがよく理解できなかった。
 ---なぜ僕がここに来ることを知っていたの?
「知っていたからよ。」
少女は視線を前に戻して僕の抱いている質問に答える。しかし僕の声は届いていない。
少女の視線の先には果てしなく緑の草原が広がっている。
「たんぽぽの種が風に乗って然るべき場所に落ちるように、私はあなたがここに来ることを知っていた。ただそれだけのこと。」
少女は続ける。
「あなたの中にあるものはあなたの一部であるように、あなたは何かの一部なの。たんぽぽが自然の一部であることと同じようにね。」

 そう言って少女は歩き始めた。私はしばらくその後姿を眺めていたが、この草原の中で立ちすくんでいるよりは彼女について行った方が良いと直感的に思い、僕はその背中を追うように歩き出す。
彼女は僕が何かの一部であると言った。僕はそれについても答えを出すことはできなかった。

 どれくらい歩いただろうか。私たちは一言も言葉を交わさなかった(相変わらず私は一向に口がきけないために会話が生まれるはずがない)。歩いている間に何か一つでも解決できるものはないかと考えを巡らせているうちに彼女の歩みが止まった。
「着いたわよ。」
彼女の声を受けて顔を上げると、そこには小さな村があった。

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