記憶に残っている入院生活①
しっかりと記憶に残っている入院生活は2回ある。
1回目は小学6年の時
2回目は高校3年の時
小学6年のときのことについて、思い起こしてみる。
この入院の手術の目的は、顎裂部に腰骨(腸骨)を移植することと、鼻口腔瘻を舌弁で閉鎖することが目的。
それぞれの手術には、とても重要な意味がある。
額裂部に腸骨を移植しておかなければ、歯列矯正しても歯を正しい位置まで動かせないからだ。なぜなら、骨がナイところには、歯が移動できないから。
そして、鼻口腔瘻を閉鎖しなければ、破裂音などがうまく発音できないし、鼻から食べ物がこぼれてくる。まさに、鼻から牛乳である。少し話はそれるが、小学校の給食で、牛乳の一気飲みが流行っていた。ボクは、一気飲みは早くできたのだが、なんかの拍子に、鼻から牛乳をやってしまうのである。
しかし、当時は、嘉門達夫さんの”鼻から牛乳”が流行していたので、鼻から牛乳をしでかしたときは、ウケた(笑)脱線しすぎたので、本線に戻します。
何を言いたかったのかといえば、どちらも大切な手術ではあるけれど、
ボクが一番コンプレックスを感じていた鼻の形には手をつけないのだ。
それが、小学6年生には理解できなかった。
1ヵ月以上も入院するのに、2回も全身麻酔をかけるのに。
鼻の形が鼻ペチャのママだなんてw
どうにかして、鼻の形も手術をしてと、主治医の先生に何度も頼んだ記憶がある。が、即却下であった。この時期に鼻を触ると、大人になったときの外鼻修正手術がうまくいかないから。という理由であった。
その理屈は正しい。きっと、100%正しいのだろう。
だけど、当時の、小学生のボクには理解ができなかった。
だから、このときの入院するときは、『あれぇー、あんなに長いこと入院して、鼻ペチャのままやん』って、友達に言われるのではないか!?と、もう完全に被害妄想祭りになっていた。
ただ、入院生活は楽しかった。
隣のベッドの男の子(たしか年が2つほど上)と、めっちゃ仲良くなった。
小児病院だったので、いろいろな病気の子どもが入院していたのだ。
その子は、何の病気だったかは知らないけれど、麻酔もなしで、おちんちんから管を入れられていて、それがめちゃくちゃ痛かった。と言っていたのを覚えている。
話を聞いただけで、夢にでてきそうな恐怖を覚えた。
その子は、看護師さんのお尻を触ったり、なんかちょっとエッチな話をしたり。なんだか、入院生活は楽しいものだなー。と、思っていたが。
2週間もしないうちに退院した気がする。
そして、ぼくも一回目の手術のあとは、上あごと舌がひっついたままになっていたので、しゃべることもできず。口からご飯をたべることもできず。
そして、腸骨を採取したので、ベッド上安静の指示がでていたので。ただただ、ゲームボーイをして過ごす日々だった。
ちなみに、上あごと舌がくっついていて食事ができなかったので、鼻から管が入ってて、このチューブから栄養剤を流し込むという段取りだった。
最初は気持ち悪くて、イヤだったのだが。3日もすれば、なれてきた。
今、思えば、最初気持ち悪かったのは、経管栄養のせいではなくて、PONV(術後悪心嘔吐)だったのかもしれない。わかんないけど。
なので、慣れてしまえば、経管栄養は小学生男子の遊び道具になった。クレンメ(点滴の速さを調整できる)を勝手に触って、超高速で栄養剤を胃に送り込んだりしていた。超高速で胃に流し込むと、胃がひんやりとする感覚が分かって面白いのだ。何かが胃に入ったという感じがしっかりと伝わって、少し幸せな気分になった(笑)
さて、最初は、鼻のチューブに気を取られて気付かなかったけれど、そういや手術が終わってから、数日間、トイレに行ってない!??「おしっこをしたい」という感覚もなかったから、忘れてた。
そこで、恐る恐る、おちんちんに手を伸ばしてみると。
おぉぉー、おちんちんに管が入っているではないか。入院当初、仲良くなった、兄貴分がつけてたやつだ!!なぜか、感動した(笑)
ぼくは、全身麻酔の間に入れられたから、挿入時の痛みはなかったが。
チューブを抜く日が近づくにつれて、兄貴分が痛かったと言ってたことで頭がいっぱいになった。抜くときも、痛いんだろうか。。。
ちなみに、抜くときは、全く痛くなかった。抜くのを怖がって、泣きそうな顔をしていたら、看護師さんが先生を呼んでくれて。先生が「こんなん痛ないわ」と言って、一瞬で引き抜かれた。そして、本当に痛くなかった。
ただ、この後が大変だった。
4週間程、おしっこをしていないものだから、おしっこの仕方を忘れたのだ。尿意はある。膀胱も張っている。でも、おしっこがでない。。。
どんな姿勢をとってもでない。
どこに、力を入れたらおしっこがでるのか分からない。
まだ歩行器が必要なときだったから、昼過ぎから、うろちょろと歩行器で歩き回ったり、洋式便座に座ったり。男子トイレの前で、佇んだり。
まぁ、何をやってもでなかった。
最後は、どうやって、どこでだしたかはあんまし覚えてないけど。
消灯時間が過ぎた後に、看護師さんが尿瓶で受け止めてくれたのは覚えてる。
一度、おしっこが出だすと、やめられない止まらない。
600mlほど出て、やっと止まった。
尿瓶で受け止めてもらって、尿瓶が溢れ出しそうだったことは明確に覚えている。
そして一度、排尿体験をすれば、翌朝からは慣れたものである。
夏休み、まるまる入院して過ごしたのだが。
鮮烈なイメージを残したのは、この夜の排尿のことであった。