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[東京火葬場問題] 噂の東京博善での葬儀に参列して自分の中の日本人を実感した話

今年はすでに2度、親族の葬儀に参列した。

1度めは関西地方の某県、2度目は東京。

関西の葬儀は今まで通りで何も引っかかることはなく、皆で故人を偲んで思い出話などし、いつも通り粛々と執り行われた。

問題は2度目の東京である。

テレビや週刊誌で『東京の火葬場問題』が取り上げられていたことは知っていた

『東京博善』

週刊誌に載っていた名前、今回まさにその斎場での葬儀と火葬だった。

たしか火葬場が民営化されたため火葬の価格が急騰したとか、予約が取りづらくなったなどの報道だったような。。。

そんな感じのことなんだろうと思っていた。

ところが現実は、、、、。

もちろんお金のことも大切だが、問題はもっとずっと根深いということを思い知った。


廣済堂の株式をめぐる暗躍

日本は世界一の高齢化社会だ。

これから訪れるのは前代未聞の多死社会。

そこで「人の死は儲かる」と考えた投資家たちがいたようだ。
ぜひこの記事を読んでもらいたい。↓

東京博善の親会社『廣済堂』の株式をめぐり、HIS創業者の澤田氏・村上ファンドなどが暗躍し、麻生太郎氏の実弟が会長を務める麻生グループが『廣済堂』の株式を大量保有した。

当時の麻生氏は副総理兼財務相、ここまででも「え?そんなことする?」って感じだが、ここからが最悪。

親会社である『東京博善』が『廣済堂』を完全子会社化した。

そして筆頭株主になっていた麻生グループが『廣済堂』の株式を大量売却し、代わって筆頭株主になったのが中国資本のラオックスグループ。



このようなストーリーで東京都の火葬場全体の約3分の2、民間部門の7分の6が中国系企業に独占されることとなった、ということらしい。

火葬場は社会インフラである。

全国の火葬場の99%は公営だ。

東京都は『重要インフラを中国資本に譲り渡してしまった』ということにならないだろうか?


参列していて違和感だらけ

東京博善は都内に7ヶ所の斎場を持つ。

そのうちの一つで親族の葬儀・火葬が執り行われた。

他県の公営斎場とは違い、広大な敷地にホテルかコンサートホールのような豪華な建物。

まず葬儀が行われる階に行く。

まるで結婚式場のような雰囲気だ。

廊下は大きな窓から陽が燦々と差し込み、とても明るい。

祭壇自体はごく普通だった。

中国資本になったとはいえ、社員はそのまま日本人だろうしお葬式はいつものだろうと信じて疑わなかった。

そして葬儀が始まった。

斎場のスタッフが司会として話し始めた。

あれ?なんか変。

セリフは確かに合っている。

でも

ただ形どうりに進行することしか考えていないように感じる。

他にも、お焼香の時「こちらに」と参列者を誘導する係の人も、やたらとテキパキしていて葬儀の空気に全く合わない。

葬儀が終わったら、僧侶を先頭に遺影と位牌を喪主が持って一列に並んで謎の行進をし、エスカレーターを下る。

すると目の前に、広々としたオープンな空間に何基も並んだ火葬炉が現れた。

数名のスタッフが「最後のお別れです」といってご遺体のお顔を見せる。

たぶん何分間これをやると決まっているのだろう。

「はいおしまい」と言わんばかりに棺桶の窓を閉める。

そして火葬炉の中へ棺桶が収納される。

その後だ。

「では」と言って、何の躊躇もなく火葬炉のボタンを『ポン』と押した。

まるでエレベーターのボタンを押すようだった。

お骨を拾う場所も火葬炉前の広々としたオープンスペースで、すぐお隣では別の家族がお骨拾いをしている。

形だけひとつづつ拾って骨壷に入れた。


日本人の根底に流れるものが失われる

私は今まで数々の葬儀に参列してきた。

地方によって色々風習は違う。

葬儀のやり方も祭壇周りの飾り方も様々だ。

だけど共通しているものがある。

それは死者に対する『畏敬の念』といったものが根底にあることだ。

私たちは無意識にそれを表している。

「ご愁傷様です」という気持ちを込める時、声のトーンは自ずと低く小さくなり、体の動きもゆっくり気味になる。

遺族を思いやり、故人の尊厳を大切にすれば、独特の “間“  が生まれる。

それがあっても無くても内容は変わらないかもしれない。

でも 火葬炉のボタンを押すときは、もっと “間“  をとってほしい。

たとえ本心で無くても、心をこめて欲しい。

そんなもんは時間の無駄なのだろうか?


ラオックス会長の羅 怡文氏はテレビに出演した際、年末に1日で火葬炉を10回転させたと自慢げに語ったと聞いた。

たくさん死んでくれたから儲かって良かったってこと?

葬儀と火葬を、立ち食い蕎麦屋さんの経営のように考えているのだろうか。

本木雅弘さん主演の『おくりびと』は、まさにこの日本人の感覚を表現している2008年の映画だ。

国内で数々の賞をとり、米国で第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞した。

『遺体を棺に納める“納棺師”という職業を通して、様々な死と向き合い人生をみつめるヒューマンドラマ』と紹介されている。

この映画の全体に流れているのは、死者に対する畏敬の念だと思う。

日本の葬儀業界の方々は大変素晴らしく、私は長年葬儀に何の疑問も持たずに生きてこられた。

それゆえ今回はとても残念な気持ちになった。

全ての人に平等におとずれる 『死』

ここにだけは商業主義や効率主義を持ち込んでほしくない。

火葬場は重要インフラとして完全に公営化すべきだ。







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