小学校教育について思うこと〜教育費の問題
娘が小学生の時は、『ゆとり教育』だった。
配られた教科書は、絵本のように薄く字が少なくペラペラ、不安だった。
ちなみに私たち親世代が小学校の頃は、学校の勉強を完璧にすれば、きちんと学力が身に付く内容であった。
これって大丈夫かな、、、多くの親は心配して、塾や通信教育に申し込んだ。
実際私は、娘が低学年の間は通信教育にした。
プラスアルファの教育費の発生だ。
そしてその頃から、年々中学受験が加熱していったように思う。
みんな一緒
学校では全員が同じスピードで学習していかなければならない。
人にはそれぞれ向き不向きというものがある。
スポーツが得意、勉強が得意、絵が得意などなど。
日本の教育が最も大切にしていることは、『みんな一緒』だ。
私は絵が苦手だ。
幼稚園の頃、近所の無愛想なおじさんが絵画教室をやっていた。
母に連れていかれて体験レッスンをした。
同じ日にもう1人知らない女の子が体験レッスンに来ていたので、2人で並んで座ると、「人間の顔を描いて」と言われた。
私はいつも、家でお絵描きをしていた。
お父さんの顔、お母さんの顔、何回も描いたことがあった。
出来上がった2人の絵を見て、その先生は、もう1人の女の子の絵を指差して、
「こっちはいい」そして私の絵を指差して、「こっちはダメだ」と言った。
それ以来、私は人の前で絵を描くことができない。
私が繊細すぎるのだろうか。。。
もう50代なのに、半世紀たってもいまだに出来ない。
だから小学校の図画の時間が苦痛だった。
真っ白い画用紙を渡されて、「好きな絵を描いていいよ!」と言われると、固まってしまう。
絵が得意な子は「やったー」と大喜びで絵を描く。
私は自分が描いた絵を人に見られるのが恥ずかしくて、とにかく図画の時間が早く終わってほしい、いつもその一心だった。
ちなみに工作は普通に好きだった。
絵を描くことだけが全くダメなのだ。
私はずっと思っていたことがある。
もし、絵が得意な子と苦手な子を別々のクラスにして、苦手な子のクラスでは、それなりに絵を描くことを楽しむ方法とか教えてくれたら、絵に関する私の苦手意識はもう少しマシだったんじゃないかと。
そして得意な子にはハイレベルな授業をすれば、そこから素晴らしい芸術家が誕生したかもしれないし。
レベル別学習。
でもそれは不平等だと言う。
どの教科の授業でも、得意な子と、不得意な子が同じ授業を受けなければならない。
2つクラスを用意して、子供が好きな方を自由に選べるようにしたら、私にとってはすごく素敵だったのに。
運動会のかけっこで、全員手を繋いでゴールするって聞いたことがあるけど、それって意味ある?
どう誤魔化しても、私の絵の上手さ順位が上がるはずがない。
『みんな一緒』って何かを誤魔化しているんじゃない?
今の学校は全国一律な学習を提供するため、それ以上やりたい人は、お金を払って学校以外でやってくださいってシステムだ。
そうなったら、親は無理してでも捻り出してお金を払ってしまう。
教育費は家計の聖域になりやすい。
教育費がますます増える。
なんか変
学校は勉強だけをする場所ではない。
それはよくわかっている。
集団行動、道徳、みんなで一つの目標を達成する、、、。
そういうことは、もちろん大切だろう。
でも、娘が小学生だった頃から、学校教育は限界なのかなと感じていた。
先生の仕事は、勉強を教えることはもちろんのこと、子供たちに差をつけないように気を配り、理不尽な親たちへの対応、教育委員会からのプレッシャー、行事をやれば近所からの苦情対策、そして教員同士の上下関係、大変そうだった。
きっと、もっともっとたくさんあるんだろうけど、親が垣間見れたのはこのくらい。
心が病んでしまって休職する教師がとても多い、とニュースになっていた。
そりゃそうだろうと思う。
先生だって人間だ。得意不得意はある。
それを全ての先生に、1人で何もかもこなせというのは無理がある。
今の教育体制は、先生が最も肝心な『勉強を教えること』に力を注げない状態になっている。
その『一番肝心な事』を、塾の先生がやっている。
それに対して親が多額の授業料を払う。
なんか変。
とはいえ、我が家もサピックスにお世話になり、第一志望に合格させてもらったんだけど。
昭和の頃は、先生が暴力を振るうなんてこともよくあった。
悪いことをした子にはゲンコツで頭をゴン。
遅刻した子は廊下に立たされたり。
先生が突然怒鳴り出して、授業をせずに1時間なんてことも。
モラハラ、パワハラ、虐待、って
今だったら、すぐにニュースになってしまいそう。
こういう事は、確かに良くなかった。
今の方が正しい。
だけど、今は先生が萎縮しちゃって、非建設的なやらなきゃいけないことが増えすぎちゃって、いっぱいいっぱいになっている感じがする。
昭和の時代は、今ほど子供に自由はなかった。
社会の選択肢自体が少なかったので、上から押し付けられたものをそのまま受け取っていた。
先生は生徒を導く存在だった。
でも今は多様性の時代。
昔ほど単純な世の中ではない。
子供もたくさんの選択肢の中から、日々色々なものを選んで生きている。
選択眼を養わないといけない時代。
絶対に無理だって分かっているけど、、、
そろそろ現実に即した学校のシステムに変えてくれないかなぁ。
例えば、、、
先生を2種類に分けて、「教科を教える担当」と「生活全般の担当」にする。
子供は生活全般のクラスに所属して、勉強以外のことを学ぶ。
各教科は習熟度別クラスに分けて、毎時間移動する。
子供は、毎回いろんなメンバーのクラスに行くことで、よりたくさんの友達と知り合うことができる。
一日中同じメンバーのクラスにいるより、多様性も学べるし、いじめも減りそう。
まあ、そんな塾みたいな学校はだめって、絶対に言われるだろうけど。
でもやっぱり、私は思ってしまう。
公立小学校のシステムが変わってくれたら、家計からの教育費負担を少しは減らせるんじゃないかと。
読んでいただいてありがとうございました!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?