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かつてのいつかに出会う旅
あることで師事していた先生の、どうしてもピンとこない話があって、お陰で出来ていたことまで出来なくなるという、なんのこっちゃな状態になったことがあった。
それが今、心から「わかる」と言える。わかるようになった。要した時間、10年。
正直、先生のその話は、「私には合わない」当時はと思ってたし、「好みじゃない」とも思ってた。
「私には関係ないかも」とも思ってた。
それでも時々、その話を思い出すことはあった。
なんとなく、年々増えていた気もする。
そしてその度に改めて考えては、やっぱりピンとこないまま、また手放す。それを繰り返してきた。
思い出しては考えて、考えてはやってみて、やってみてはまた考えて。それでもわからないから、手放して。そうやって、ゆるく付き合ってきた。
それが、何故か10年経った今、突然「わかる」と思った。なんか急にきた。数日前の夜のこと。キッカケも、特には思い当たらない。
同時に、あぁこれは当時の私の年代では、どうやったってピンときようがなかったな、と思った。
そして、あの時自分で感じていたように、当時の年齢の私にとっては、本当に必要が無かったんだとも思う。
必要な時が来たら分かるって言うけど、まさにそれかな?
それでいいと思えたら、安心した。
前段が長くなったけど、今回書いておきたかったことは、こっちのこと。
何度も「わからない」を繰り返したことでも、本当に必要なことなら、いつかわかる時が来る。
もちろん、今までにもそんな経験はしたことがあったはずだけど、今回はちょっと鮮烈だった。
だから力を抜いて、「いつかわかる」もアリだな、と思えるようになった。
そして、それでもいいと思えたら、なんか安心した。安心という言葉が持つ温度を、じんわりと感じた気がした。
焦らなくても大丈夫。という安心。
そしてその安心は、これからに楽しみをくれた。
ちょっと面白そうな気がした。
年齢を重ねていくことって、かつてのいつかに、色んな形で出会える旅なのかも。
ということで先生、遅ればせながら、ようやく分かりましたよ。先生が、もうこの世に居ないことだけは、残念だけど。