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小学生の頃好きになったピクニックが、今も私に力をくれる。

春が近づいていると、匂いで感じる今日この頃。陽気がいいと、やっぱり外に出たくなる。そんな陽気がいい時も、人生の陽気があまりよくない時も、どちらにも思い出すピクニックがある。

小学校5年生の時、担任の先生が、よく谷川俊太郎さんの詩をプリントにして配って下さった。

ある日、いつものように配られたプリントに目が釘付けになった。とても不思議で、やさしくて、ワクワクするんだけど、派手なワクワクじゃなくて静かな印象もあって、何度も何度も、繰り返し読んだことを、ハッキリと覚えている。

あの日以来、谷川さんといえばこの詩であり、詩といえばこれと言ってもいい。それくらい、大好きな詩がある。

「地球へのピクニック」 谷川 俊太郎

ここで一緒になわとびをしよう ここで
ここで一緒におにぎりを食べよう
ここでおまえを愛そう
おまえの眼は空の青をうつし
おまえの背中はよもぎの緑に染まるだろう
ここで一緒に星座の名前を覚えよう 

ここにいてすべての遠いものを夢見よう
ここで潮干狩りをしよう

あけがたの空の海から
小さなひとでをとって来よう
朝御飯にはそれを捨て
夜をひくにまかせよう

ここでただいまを云い続けよう
おまえがお帰りなさいをくり返す間
ここへ何度でも帰って来よう
ここで熱いお茶を飲もう
ここで一緒に坐ってしばらくの間
涼しい風に吹かれよう

まだ小学生の自分に、ピクニックという言葉の響きがワクワク感をもたらしてくれたのは間違いない。しかも、行先は地球だ。なにこれ!

いや、でもここは地球だし、行先じゃなくて既に居るんだけど・・・。

それが不思議で不思議で。地球にピクニックってなんだろう?と考えれば考えるほど面白くて、惹きこまれて何度も読み返したのだ。

読み返したのは、映像を創っていく作業をしたと言ってもいい。明るい陽射しがさす時間から、静かな夜までの映像を、あぁでもない、こうでもないと、子供の頭の中で繰り広げた。意味が分かるとか、分からないなんてことはどうでもよくて、ひたすら絵を描くような感覚だったと思う。

とはいえ、実はその小学生の自分が、いちばん好きな箇所は最後の部分だった。最後の部分だけもう一度。

ここでただいまを云い続けよう
おまえがお帰りなさいをくり返す間
ここへ何度でも帰って来よう
ここで熱いお茶を飲もう
ここで一緒に坐ってしばらくの間
涼しい風に吹かれよう

それはとてもやさしい時間に感じられた。小学生にとっては、安心という言葉がしっくりきていたかもしれない。両親や、田舎の祖父母の顔が浮かんだり、大好きな場所が浮かんだりして、そんな感じがしたのだ。大人になった今も変わらず、やっぱり好きな箇所である。

そしてこの詩そのものが、やがて自分の人生に欠かせないものとなっていった。

どうすればいいのか分からなくなった時、辛くてたまらない時、気持ちが沈みがちな時、何もかもから心を閉じてしまいそうになった時、固く冷たくなったそんな気持ちを、気が付けば徐々に緩めてくれる存在になっていた。

初めてこの詩と出会った時には分からなかったかもしれないけれど、いつの間にか自分の言葉で解釈するようになっていたからだ。

「これ、もしかしたら人生のことなのかな。私って、地球にピクニックに来てるってことか。そっか、ずっとピクニックの途中なんだ。」

私たちは、はるかな国からやってきて、この地球でピクニックを楽しんでいるらしい。

じゃ、何もそんなに落ち込むこともないか。

・・・とまではすぐに思えなくても、思わず頬が緩み、気持ちも緩む、そんな風に思わせてくれる、自分にとってこれはとても大切な詩なのだ。 

この詩に出会わせて下さった先生には、今も感謝している。そして、この詩に惹かれた小学生だった自分にも、大人になった自分から、ありがとうと声をかけたい。今もずっと、この詩が大好きだよと。


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