テレビ番組を思い出す「1988年 クイズ世界はshow by ショーバイ」
週1で書いていくなんて言ってるのに、こんなに期間が開くなんて、我ながら情けない。お許しください。ところで、このnote読んでる人はどれぐらいいるのでしょうか?読んでくださってる方、ありがとうございます。
さて、今回取り上げるのは、1988年、日本テレビで放送開始、
「クイズ世界はshow by ショーバイ」です。
放送時間は水曜日の夜8時、ゴールデンタイムです。
裏番組にフジテレビの時代劇、TBSは人気番組「わくわく動物ランド」がやっていた頃です。
番組の内容は、ある職業をテーマに世界各国と日本を比べながら問題を出すと言うものです。
司会は、フジテレビからフリーになり初めての番組を担当する逸見政孝さん、アシスタントはコント赤信号の渡辺正行さん
男性同士の司会というのは、当時としても珍しかった光景でした。
第1回目のテーマはタクシー業者
私はこの第1回目を見ました。理由は日本テレビでやたらとこの1週間、逸見さんが出ずっぱりだったんです。
日本テレビもこの番組に力を注いでいたのがよくわかるほどでした。
この第1回目がものすごいグダグダ、クイズの司会が初めての逸見さん、回答者は山城新伍、野沢直子、芳村真理と言う、曲者なタレントばかり、
回答者に緊張したのか、訳のわからないことを言ったり、自ら答えになることを言ったり、
シンキングタイムに言う
「さぁ、皆んなで考えよう!」という言い方もグダグダ、
「ミリオンスロット」の掛け声も、まとまりもなく、見ていて、本来の目的で笑わせない、別の意味で笑ってしまっていました。
この番組…すぐ終わっちゃうかも。
中学生だった僕は何となくそんな気がしました。
ある日の番組で
リカちゃん人形を人気にさせたある計画とはと言う問題が出ました。
それを4択にして、逸見さんが一つ一つ、丁寧に説明します。それで満足した逸見さんは
「どうですか?私の流暢な説明、どれも本物っぽいでしょ。これを嘘つきクイズとして定番にしたいと思います。」
と自信満々。しかし、
芸能界の帝王、クイズの帝王山城新伍さんがそれなら待ったをかけます。
「よし、それじゃあ、絞り込みましょう。一番は正解にはしない、2番の説明は嘘っぽい、3番の価格を半額にする、売れなかったものが、安くなったからって売上が上がるわけがない。というわけで4番が正解です。」
と限定してしまいました。これも今までのクイズ番組ではなかったこと。
司会者と回答者の戦いがここに始まります。そこからスペシャルも逸見チームと山城チームの対抗戦という形になりました。
得点はスロットで出た目で決まるので、逆転の可能性もあり目が離せない展開ですし、
回答者も、ジャイアント馬場さんや蛭子能収さんなど、なかなかテレビに出てもらえない方が出て豪華な番組になっていきました。
しかし、順調に見えた番組も、ご存知の通り、逸見さんがガンの病に倒れ、あの当時としては異例のガン告白記者会見をし、闘病しましたが、そのまま亡くなられました。
とりあえず、逸見さんの復帰のため、代理司会者で賄っていたshowbyショーバイも、新しく、福澤明さんを若旦那として迎え、新しいshow byショーバイが始まりました。
新しい番組としてスタートして、ルールも変更しました。回答者側のミリオンスロットに100萬の出目が入りました。賞金が青天井になりました。ラストスロットに200萬よ出目が入りました。
多額の賞金が獲得できるようになりました。
しかし、他局で新番組が始まり、視聴率が下がります。
そこで名前も新装開店という名前が加わり、看板娘に久本雅美が入り、回答者も増えました。問題数を増やす為、2択の問題をたくさん用意したり、一般常識クイズを色々な形の早押しにしたりしているうちに、毎週見ている僕はあることに気づきました。
「職業に全く関連していない」
もう、show byショーバイじゃないんです。ただのクイズがてんこ盛りなんです。
いつしか、司会者と回答者のやりとりもなくなり、テンポよく問題が出し続けられる機械のような展開になっていました。
しかし、そんな中でもすごいのは、当時番組のレギュラーだった高田純次さんの存在、あの人はあの機械のように続く番組でも自分のカラーを保ちしっかりボケていました。
8年間愛されたこの番組も最終回を迎え、最後は今までの総集編やクイズで盛り上がりました。山城さんが最終回に出演して逸見さんも満足しているでしょうと話をされていました。
この番組がなぜ終わったのか、
クイズ世界はshow byショーバイは逸見政孝さんを楽しむための番組だったのではないかと思います。クイズじゃなくたって良かったんです。多分、あの人の人柄を楽しめれば何でも良かったんです。
だから、逸見さんが亡くなった時点で最終回にするべきだったかもしれないが、番組が看板番組だったからどうしても続けなければならなかったのでは、その使命のもとに新しく始まった番組、
少しずつ、福澤明さんの色を出していく、それだけでは弱いから、クイズを沢山出す、飽きさせない展開にする。もう一つの看板番組の「マジカル頭脳パワー」の作り方と同じにした。
8年つづいた番組の最終回は総集編でしたが、ほとんど逸見時代のものでそこに面白さが凝縮してたのかなと思ってしまいます。もちろん、後期の番組でも面白い所はありましたけど、
逸見さんが生きていれば、今のテレビはどうなっていたか…ある意味境目だったかもしれません。