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マルタン・マルジェラと浅田彰ーー消費社会と2人の秀才


「メゾン マルジェラ」の新クリエイティブ・ディレクターにグレン・マーティンスが就任したとのこと。

この機会に浅田彰のマルジェラ批評をひとつまみ。

『マックイーン モードの反逆児』の試写を観たのはカール・ラガーフェルド(1933-2019)の訃報を聞いたあとのことだった。ラガーフェルドにせよ、ファッション・シーン(そしてゲイ・シーン)で彼のライヴァルだったイヴ・サン=ローラン(1936-2008)にせよ、それぞれ美貌と才能に恵まれ、ファッション・ビジネスの大波に揉まれながらもなんとか最後まで自分のテイストを貫き通すことができた、それはもはや古き良き時代の物語でしかないのか… アレクサンダー・マックイーン(1969-2010)のあまりに短い生涯を追ったこのドキュメンタリーは、そんなことを考えさせる。

「マックイーンとマルジェラ――ファッション・ビジネスの大波の中で」浅田彰


有名モデルが着る有名デザイナーの服を有名人が買う──そんなファッション・システムの既存の権威を転覆したのが、マルタン・マルジェラだった。

ジャン=ポール・ゴルチエのアシスタントを経て、1988年に経営担当のジェニー・メイレンスとともにメゾン・マルタン・マルジェラを設立した彼は、ストリート系のリアリズムに徹し、高級素材ではなく安価な素材を用い、場末の狭いクラブや廃墟でショーを開催するなど、従来のファッション・ショーの形式を逸脱した方法をとった。

初期の頃はジャーナリストに対してコレクションの説明をすることもあったようだが、顔を写させることはなかった。

そして次第に、インタビューも書面でのやり取りのみとなり、主語を「I(私)」ではなく「We(私たちのカンパニー)」とし、時には広報担当が代筆することすらあった。

その戦略を象徴するのが、アニー・リーボヴィッツによる写真である。

全員が白衣を着て並び、メイレンスだけが黒のセーターを着用、そして隣にあるはずのマルジェラの席は空席。

そこにあるのは、デザイナーの「不在」であり、「1人のカリスマデザイナーによって紡がれるモード」という「神話」から逸脱する「アンチモード」である。

実際の制作過程も、彼個人の「創造」ではなく、カンパニーのメンバーによる共同作業として進められた。

ブランド名のない真っ白なタグはメイレンスのアイディア、表からは四隅のステッチだけが見える仕様はマルジェラの発案とされる。

それは商品としてのブランドの記号性を剥ぎ取り、服そのもののリアリティを回復しようとする試みだった。  

だが、皮肉なことに、マルジェラのこの戦略は「アンチ・ブランド」としての強烈なブランド価値を生み出した。

「不在」のデザイナーは「神話化」され、「匿名性」が新たなカリスマ性を帯びる。

彼の戦略は市場に回収され、「アンチモード」はミステリアスで知性的な「記号」として消費され尽くそうとしていた。

彼自身はそれを拒むかのように、意識的に表舞台から姿を消していったが、それすら「マルジェラ」という「神話」の肥やしとなる。

いずれにせよ、彼のような才能がかつてのラガーフェルドやサン=ローランのように生きることができない時代になってしまったことは、悲劇であると同時に、この苛烈な消費社会の本質を象徴している。  

マックイーンには生活と言うべきものがなく、マルジェラにはあったのかもしれないけれど一切表に出てこない。それが彼らをポストモダン消費社会の表層で輝かせたと同時に消滅へと向かわせたと言うこともできるのではないか。

「原美術館のドリス・ファン・ノーテン」浅田彰

と語る浅田もまた、80年代から90年代にかけて強い影響力を持ちながらも、表舞台から去った一人である。

思想の権威が活字文化と講演を通じて形成されていた時代は終わり、知識はデジタルの洪水の中で拡散し、瞬く間に消費され、個のカリスマ性は希薄化していく──と同時に奇妙に神話化されていく。

かつての知識人は、その「存在」によって思想の磁場を作り出していたが、現代ではむしろ「不在」がその影響力を担う──まるでマルジェラが姿を消すことで、かえってその神話を強化したように。  

この戦略の成否をどう評価するかは難しい。

彼らはシステムに回収されたのか、それとも最後まで抗い続けたのか──ただの逃避に過ぎないのか。

だが確かなのは、マルジェラが「不在」であり続けることによって、その名/神話が「記号」として消費され続けているという事実である。



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