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66-- 「当原ミツヨさんへのラブレター」 4060字 7-2006 モントレーの山奥から心の叫び
グイグイと引き付けられる。
ひき付けられる度に幼い頃の島の祭りが、ユーウエー(お祝い事)が目の前に浮かんでくる。
目だけじゃない、心もひきつける。
馬に引っ張られるのとは違う、懐かしい昔の恋人に引っ張られるみたいだ。
これは何十年ぶりに会う親しい昔の恋人に会い、抱き合って感激、胸に込み上げるものを感じる瞬間にも似ているが、その親しい昔の恋人が、日本で評判の歌手以上に上手に歌い、サンシンをひき、憧れの有名人になっているみたいである。 懐かしさを通り越して羨ましくさえも思える。
ああ俺は惜しい恋人を逃がしたなあとも後悔する。
まさしく有名な歌手になった昔の恋人に会って、感動、懐かしむ、そして感激のひと時に似ている。
これが2003年6月22日に鹿児島県人ホールで開かれた、奄美本土復帰50周年記念ライブ『第8回島唄レクチャーコンサート』DVDだ。
県民ホールの階段状の観客席を埋め尽した観客は奄美出身者か、その関係の人達に違いない。
島ユミタ(島の方言)があちこちから聞こえてきそうだ。
薄暗い舞台照明の舞台に勢ぞろいした黒っぽいズボン、シャツ姿に、赤いマフラーの花が襟元に咲いているようなサンシン(三味線)楽隊の服装。
全員がサンシンを手にしている。
この数10名のサンシン楽隊はオリンピック選手団を思わせる。
皆この島唄のコンサートに参加するサンシン奏者なのだ。
薄暗い照明の中に3列に10人位ずつ並ぶサンシン楽隊の後に、時たまスポットライトで映し出される大空には寒いオホーツク海の流氷をも思わせる白い雲が強い風に吹かれてなびいて流れている。
あれは台風が過ぎ去った後の奄美の空に違いない。
サンシン楽隊の前に礼儀正しくサンシンを持って椅子に座っている眼鏡をかけた中年のまじめそうな男の人、この人は大島紬の泥染めの職人とパンフレッドには書いてある。
この人の名は福山幸司さん。
その左隣に沖縄首里の上品な貴婦人を思わせる唄も、顔も島1番に違いない超美人が微笑をたたえて背筋を伸ばして、渋い大島紬で身を包んで立っている。
うちの嫁はんは『大島に、こんな美人がウタスカ(おったのか)』とヤキモチをやいているみたいだ。
私はこの当原ミツヨさんに人目ぼれした。
どうも喜界島の同級会のビデオで見た笑顔の印象的な同級生の顔に似ているからかもしれない。
彼女の髪型もいい、京女の髪型にも似ているし、私が昔通った大阪北新地の高級クラブのママさんの髪型にも似ている。
美しい人にはこの髪形がよく似合いそう。
うちの嫁はんにあんな髪型をさせた姿を想像するが、なかなかそう簡単に頭に浮かんでこない。
やっぱりうちの嫁はんにはあの髪型はあわんのやろうか。
彼女の微笑んだ顔がまた私の欲望をくすぐり、禿かけた頭の中の脳を混乱させようとする。
難儀やのう。嫁はん、怒らんといてや。
彼女の左隣が渋い色の大島紬が似合う角刈りの青年、貴島康男さん、若い女の子にもて過ぎて身体を壊さないか心配にもなる。
さらにその左隣が若い川畑由紀代さんが椅子に座ってサンシンを持って清く正しく座っている。
なんと彼女は大学研修医とパンフレッドに書いてある。
もうすぐ医者の唄者が奄美から誕生するかもしれない。
彼女の頬に塗られた薄いピンクの紅がピカピカの1万円札のように光っている。
渋い大島紬で身を包んだ4人の唄者を見ているとお茶の世界のワビ、サビいう言葉が思い出される。
さらにシャンと真っ直ぐに延ばした背筋を見るとますますお茶の世界にいるような厳かな気分になる。
今からお茶会でも開かれるような雰囲気がしないでもない。
でもこの人達は奄美の唄者なのだ。
はたして、こんなワビ、サビをかもし出す、唄者の身体から出る島唄はどんな唄だろうか。
胸がワクワクする、ガタガタする。
若い由紀代さんの左端に、白髪の男性がサンシンを持って立っている。
薄暗い舞台照明の中で、この白髪は一輪の白い大きなボタンの花のようにに光り輝いている。
昔の有名な白髪の政治家藤山愛一郎さんにも似ている。
これが我が嫁はんの坂嶺村の家のサンヤ―(下の家)の輝男兄いなのだ。
『おお、うちへ下駄をはいて来ていた輝男兄いが、こんな人間になっている。
あの人は絵の先生だったなず』と初美は驚ろいて溜息をつくばかり。
絵の巧いアーテイストは唄も巧いと初美は褒めちぎる。
『俺も茶室を造る大工やから、アーテイストや』というと、大工はアーテイストにはいらんのだという。
嫁はんはアメリカにおってアーテイストの意味がわからんのや。
難儀やのう。
この白いボタンの花が咲いている頭の輝男兄いの司会で幕は落された。
甲高いサンシンの音色で、絵描きの輝男兄いが朝花節を歌った。
絵描きさんが唄の絵を書いているように上手い。
ようあれだけの裏声が続くなあと思うと同時にだいぶ年季をかけて稽古をしたようにも感じられる。
絵を描くのも歌を歌うのもひょっとしたら、同じ才能かと思えるぐらいうまい。
5年間1825日大島の島唄の師匠に通ってサンシンと島唄を習ったら、絵描きさんもプロの唄者になれるのだと言っているようである。
それだったら、大工のこのフリムン徳さんもひょっとしたら、唄者になれるかもしれん。
そうしたら、こんな桧舞台で歌えるかもしれん。
いくらでも女に持てるやろうと思うと、胸がぞくぞくする。
このフリムン徳さんはまだ女にもてたい。
『徳さん、あんた、もう還暦よ、まだこんなこと考えてんのか、このフリムン』
2曲目は川畑さんの柔らかい朝花節がサンシンに乗って始まった。
若いのに意味のわからん島唄をよう歌えるなあと聞きほれていたら、彼女の頬紅が一段と光った。
彼女の朝花が終わったら、輝男兄いがすかさず語りで、島歌の意味、朝花のゆかりを島ユミタを交えて説明してくれる。
この説明がとってもいい。
私達にはこの説明が必要なのだ。
なぜなら、私達は島を出るまで、島唄を聞き、サンシンを聞いて育ったが、唄の意味、サンシンの由来など知らない。
島を出て40数年振りに島唄の意味や、サンシンの由来が始めてわかって納得し、島唄の歴史を知ることができた。
そしたら、自分では歌えなくても、ますます島唄が身近な自分の昔の恋人のようなきがして来た。
三番目にやっと人目ぼれした、
美人の当原さんが福山さんのサンシンで朝花を歌い始めた。
優しい笑顔の唇には薄い赤の口紅が咲いている。
その赤い花びらが透き通る声で歌う姿を見ていると、ますます当原さんが美人に光り輝いて見えてくる。
もう終い頃にはこの世にこんな美人がいるかなあと思えるほど美人に見えた。
こんな美人と手を繋いで島の海岸で恋の語らいができたら長生きせんでもええ。
彼女と一緒に組める福山さんが羨ましくてならん。
立てば芍薬、座ればボタンだから、背筋をまっすぐに伸ばして優しく優雅に立って歌う当原さんは芍薬の花が唄を歌っているようにも思える。
やはり唄者は美人でないといけない。
歌の合間の輝男兄い語りがためになる。
島ユミタを入れながら、島唄の意味や、サンシンの由来、水牛の角の先をバチにする沖縄のサンシン、竹の皮をバチに奄美のサンシン、象牙をバチにするヤマト三味線の違いの説明に納得、納得ばかりや。
オルガンでの音階の説明、非常にわかりやすい。
島唄の勉強をしながらの島歌のコンサート、こんな素晴らしいコンサートには入場料はいくら払ってもいいと思う。
これだけ、行き届いた企画演出をした輝男兄いは凄い努力家であり、天才であるとも思う。
シマヌ誇りじゃ、宝じゃ。
後世のために坂嶺に銅像を立てるべきや。
はたして、島唄を作曲したのは誰か、それは祝詞や祈りにリズムがついて島歌の曲になったという。
子守りをしながら、寝かせる為の言葉に身体を動かすリズムが曲になって、子守唄もできたんじゃないかともこのフリムン徳さんは考えてみたりもした。
島唄のDVDを見ながら、奄美の人と、アメリカ人の似ているところを二つ発見した。
六調がのリズムが流れ出すと観客は一斉に手踊りをやりだした。
アメリカ人も踊り出したくなるような曲になると一斉に身体をフリフリ踊り出す。
開放的だ。
喜び、嬉しさを身体で表現する。
こんな時にはヤマトチュは手拍子を取るだけと思う。
アメリカ人はみなまちまちの格好で身体を揺さぶって、大きな身体で踊り出すが、手はあまり使わない。
揃っていない。
ところが島チュは手を中心に身体が踊っていく。
それが皆さん揃っている。
大昔から踊ってきているからだろう。
アメリカは世界中の違った国からの移民でできて、まだ国の歴史が浅いから、決まった踊りができたいないのだ。
だから、自分の好き、好きに身体でリズムを取るのだ。
手の動かし方が決まっていないのだ。
アメリカの踊りの文化ができていないのだ。
またフリムンの徳さんは大発見した。
「踊りでも、なんでも、文化は長い間に出来るものと」。
二つ目は、裏声を使う。
アメリカの国歌も裏声が多い、歌うのに難しい、島唄もそう言える。
どうしてだろうか、寂しさ、苦しさを表現するために裏声を使うのだろうか。
あるいはこんな難しい声はあんたに出せないだろうと威張る為に使うようになったのだろうか、フリムンの徳さんにはわからない。
最後のプログラムの軽快な奄美独特の踊り節『六調」、「天草」のサンシンが始まったら、もう観客は辛抱しきれず、席から手踊りしながら、ウキウキしながら舞台の前へ出て行く。
いや、舞台へ向かっているのではない、懐かしい我が故郷の島へ向かっているのだ。
あの楽しい、嬉しい笑顔、人生で一番嬉しい顔で踊りまくっている。
島に帰っているみたいだ。
唄者も観客も一緒になった感動のコンサートでした。
こんな感激の感動のDVDのコンサートは始めてみた。
恥ずかしさも忘れて、喜び勇んで男よりも一番先に踊りに出てきた奄美女性達の情熱、力強さがたくましく輝いていた。
7-2003 フリムン徳さん