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52-- 「フリムン野菜畑」 3084 字 モントレーの山奥から心の叫び字
山の中に住んでいると、朝昼、晩さえも山を見なければならない。
晩は暗くて見えないけど見る、そこに山があるからだ。
朝に、お日さんの出る東側を裏庭から見渡せば、若草山に似たような山が目の前に迫って三つ並んでいる。
左奥へ順番に若草山、中草山、奥草山と名づけた。
奈良の若草山に似ているから若草山、真ん中にあるから中草山、奥にあるから奥草山、名前のない山なんてかわいそうではありませんか。
時々、中草山の急な山の斜面を牛が5、6頭1列に並んで、歩いていくのを見て、「牛のひずめは馬のひずめと違い、二つのひずめがあるから、転げ落ちないんだ」といつか聞いた言葉を思い出しながら、牛が山の斜面を歩くのを観察することもある。
徳さんの東裏庭から見える若草山の3分の1ほどがほとんど天辺から徳さんの土地である。
夏になると、この若草山の天辺から朝日が昇る。
この時、徳さんは口には出していけない言葉で、嬉しがる、喜ぶ。その言葉とは「徳さんの山から朝日が昇る、俺の山から日が昇る」と心ウキウキしながら喜ぶのである。
この世に産声を上げてから67年、「自分の土地から朝日が昇る」、と言った人に会ったことがない。
1人優越感を感じる瞬間である。「徳さん、お前、アホか」。
左を振り向けば、禿げ山の斜面の中ほどに、ぽつんとこぢんまりした
樫の木の群れが寂しそうにたたずむ。
まるで置き忘れられた大きな盆栽のようだ。
幹が直径5センチから10センチ、高さ2メートルから3メートル
ほどの樫が7、8本群れになって生えている。
幹の上にはこんもりと濃い緑の葉が小島の形をした帽子をかぶっている。
これもフりムン徳さん所有の禿山である。
潅木の森を切り開いた際、群生していた同じような背格好の樫の小枝を地面から1.5メートルほどの高さまで切り落とし、散髪して盆栽のように剪定したのであります。
フリムン徳さんは、内心、実にうまくできたと満足している。
その裏庭の片隅に、ゴミ捨て場で拾い集めたようなみすぼらしい材木と錆びてよれよれの金網で四方を囲った小屋が3棟ある。
3棟とも見事にみすぼらしい。
左側の見事な樫の盆栽と実に対照的である。
小屋といっても、雨が降ったら小屋の中も同じように雨が降る。
屋根が日除けのビニールの網だからだ。
それぞれ8畳か9畳の広さである。
40センチほどの高さの厚い板で枠を造り、その中に土を入れて、いろんな野菜を植えてある。
おまけに、おんぼろのドアまで付いている。
周囲とあまりにもつり合わない、あまりにもみすぼらしいと、見た人は思うだろう。
「これが26年間も茶室や障子専門の”名大工”として鳴らしたフリムン徳さんが造った野菜畑小屋か」。
フリムン徳さんに立派な茶室を造ってもらったお客さんが、もし、このみすぼらしい小屋を見たら、何も言わずに涙を流すに違いない。
去年、ロスアンジェルスの月刊誌(TVファン誌)、サンフランシスコの日米タイムス、北米毎日、ラジオ毎日など、日本語新聞、日本語ラジオ局が続けて廃刊・廃局になった。
フリムン徳さんのエッセイの投稿先が一度になくなってしまった。
フリムン徳さんは67歳にして、再び失業したようなものである。
時間をもてあまし、揚げ句、野菜作りに行き着いた。
野菜小屋を作ったのは、庭に頻繁に遊びにくる野うさぎやリス、鹿、うずら等が野菜を"ご馳走さん”といって全部食べてしまうに違いないからである。
小屋の四方を金網で囲んだ。
土の下からはモグラという大敵が攻めてくるから地面にも金網を敷き、2バイ10(厚み約4センチ幅約30センチ)の材木で枠を作り、土を入れてある。
屋根は灼熱の直射日光をさけるために70%光線遮断のビニールの網である。
買ったのはこのビニールの網だけである。
四方に張った金網や骨の材木は、15年ほど前に牧場の柵に使っていた廃材を利用。
少ない年金生活のフリムン徳さんの収入に見合ったおんぼろの野菜小屋である。
ところが、♪ぼろは着てても心は錦♪と、水前寺清子の歌のように、おんぼろの野菜小屋の野菜はどれも驚くばかりの錦で飾られた、目を見張るような大きな野菜に育った。
おんぼろの服を着た女子はんが服を脱いで裸になったら、はちきれんばかりの大きなおっぱいが鈴なりになっている、そんな感じでっせー。
「また、スケベーのフリムン徳さんは野菜までも女子はんにたとえよる、難儀な男はんやのう」と言う声がどこからともなく聞こえよる。
どれも普通の1.5倍近い大きな野菜である。
色鮮やかな、個性豊かなそれぞれの緑色で飾られている。
キャベツ、レタス、さやえんどう、青ネギ、トマトが右往左往して場所の取り合いをしている。
昔60数年前に、生まれ故郷喜界島でよく聞いた言葉「品評会」に出したら、キャベツ以外は全部が1等賞を取るに違いない。
キャベツだけはダメだ。
外回りの葉っぱは大きいが巻きが小さい。
どうしてだろうか専門のお百姓さんに聞いてみたい。
ひょっとしたら、巻かない葉っぱキャベツかもしれない。
私はこの野菜小屋の土作りには精を出し、汗を流した。
斜面を削り取った土を入れた。
この土は何千年もの間の落ち葉で出来た土だから、色が黒くて、肥えている。
台所の生ごみ、落ち葉、枯れ草を混ぜて、朝晩、水をたっぷりかけて腐らせた。
この自家製の土に野菜の種をまいた。
オナゴはんに種をまいたんとチャイまっせー。
野菜の種をまいてから、芽が出るまでの待ち遠しいこと、それは恋人からの手紙を待っている毎日のようであった。
この頃、NHKのテレビでは農家の様子がよく出てくる。
NHKが日本の農業を元気にさせようと頑張っているようだ。
その番組で農家のおばあさんが言っいた言葉を思い出す。「畑の野菜は私の子供と同じです」
スケベーのフリムン徳さんには、「畑の野菜は私の恋人と同じです」である。
そのおんぼろの野菜小屋に“故郷喜界島”が来た。
いや、昔、喜界島にいた蝶“オオマダラ”が来たのである。
喜界島の高温多湿とブラッドレーの超高温超乾燥は全く違う環境だが、この野菜小屋だけは喜界島と似た気候なのか。
昔、この蝶を喜界島弁で“トゥンニュッス ファビラー”と呼んでいた。
昔の喜界島の人達のものの名前のつけ方は面白い。
ファヴィラーとは日本語でゆうたら、蝶のことである。
そして、“トゥンニュッス”とは鶏の糞のこと。
鶏の糞の臭いがする花には“トゥンニュッス花”と名付け、その“トゥンニュッス花”の蜜を吸う蝶だから、“トゥンニュッス・ファビラー”。
おもろい名付け方やおまへんか。
アメリカで、67歳になって野菜作りを始め、野菜畑で故郷喜界島の昔を思い出しながら野菜の手入れをしていると、喜界島にいた蝶が現れた。
喜界島の焼酎を飲んで酔っ払って飛んで来たに違いない。
年を取ったら、子供は作れないが、野菜は作れる。
暇が十分にある定年退職の皆さん、鉢植えでもいいから野菜を作って、自分の作った恋人を味見してみませんか。
それは老後の楽しみでもあります、自給自足の一部でもあります。
喜界島の美代ねえに、「肥えた土を作って野菜を作ったら、お化け野菜ができた」と自慢の電話した。
「野菜作りは、水が第一、その次が肥えた土」と、言われた。
その通りである。
私は暇に任せて、朝晩、いったい、何日水をかけ続けただろうか。^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^