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あの悪夢の日々を覚えているのは、きっと唯花だけ。

だって、転校の関係で中学受験を諦めたその日から
両親はあの悪夢を記憶から消し去ったのだから。

先日あの時について軽く触れた時も、
「そんなことあったっけ?」と返答された。

きっと両親にとってあの悪夢は“そんなこと”なのだ。

大したことじゃなくて、特に気にすることもないと。

あの殴られた日々も怒鳴られた日々も、

誰からも習ってもいない応用問題を解かされては
泣きながら独りで夜中に復習したあの日々も、

もう誰も、覚えていないのだ​──​──​────。

はじまりは数年前の唯花が小学3年生の冬。

中学受験なんて本当はやりたくなかったのに、

父親が無理やり参考書やらを5冊くらい買ってきて

父親の言葉を唯花がそのまま復唱する形で解法を覚えて、

「じゃあどうやって解くのかもう一度言ってみて」

と言われ、解説や父親の言葉と一文字でも違えば

飛んでくるのは野次とかではなく、ただの拳。

こめかみの部分を両腕で、グーの形を作って殴る。

痛くても、苦しくても、泣けなかった。

泣くことは負けを認めること、そう教わったから。

だからあの時、唯花は自殺未遂をしたのだ。

妹が生まれるタイミングと時を同じくして中学受験の勉強をはじめ、

小学4年生になるころには、友だちと放課後に遊ぶことは禁じられた。

家に帰ったら父親から課された宿題。

前日にやった部分とまだ習っていない部分を
40ページほどノートに解く。

分からない時は答えを見てもいいが、必ず父親から解法を詳しく聞かれる。

どこを間違えたのか、自分はどうやって解いたのか、
解説にはどんなことが書いてあって、自分はどのくらい理解したのか。

その問題だけを見てすべてを答えなくてはいけなくて、
少しでも解説と違うことを言えば、また拳が飛んでくる。

殴られたくない、間違えられない、分からないなんて言えない。

無数の糸が複雑に絡まった脳内で
スムーズに父親の目を見て答えられるわけもなく

唯花は小学3年生〜6年生までの4年間、
ほぼ毎日父親から頭や腕を叩かれ殴られ、暴言を吐かれる日々を過ごした。

それに加えて母親は育児ノイローゼ気味になってしまい、
わんわん泣き_喚@わめ_く当時0歳の妹を殴ったり蹴ったりしていた。

毎日のようにリビングから聞こえてくる泣き声と怒号。

手元にはまるで未知なる言語のような応用問題の数々。

学校では耐えないいじめと暴力。

力だけが物をいう世界で先生も諦めていた。

家にも学校にも居場所のない唯花に残ったのは、

切り傷と苦い思い出、そして歌い手という活動だった。

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