新卒半年のあれこれ✒️
例えば、
中学校の長距離走が2位だったとか、
並んでいたミスドあと3人ってところで売り切れたりとか、
あと10点足りなくてセンター試験落ちたりとか、
踏ん張り時だと分かっている仕事の局面でポカをしたりだとか、
ずーっと、うっすらと、あとちょっとが足りない。
でも、なんだかそれを含めて私の人生じゃないの🦕とようやく思えるようになった。
こう思えるまで、恥ずかしながら22年かかった。
努力しろ、頑張れ!なんて無責任な言葉が飛び交う世の中で、
『努力できる』というのはそもそも恵まれている能力であり、財力でもあり、本人の意思だけではできるものではない。
と考える私は、比較的世間一般でいう努力が苦ではない性格だ。
だから、幼少期から学業も運動も交友関係も全力で走り続けてきた自負がある。
なのに、社会人になってから走り続けることができなくなった。
頑張らなきゃ頑張らなきゃ、役に立ちたい、早く周りの期待に応えたい、社会のためになりたい。
そう思えば思うほど、全てが空回りして、
1人で泣きながら帰る夜、会社に行けなくて駅で立ちすくむ朝が増えた。
『努力できること』という自分の取り柄がなくなって、自己嫌悪に苛まれて、気がついたら息のしやすい時間が消えていた。
毎日辛くて泣き腫らして、ついに有給を使った日にふと思った。
『私って管理職になりたいわけでも,一億稼ぎたいわけでもなくて、純粋に誰かの役に立って笑顔が見たいだけだよね?じゃあ努力の方向性が違うよね?』
社会的な評価軸はたくさんある中で、
生きていくためにお金は必要な中で、
自分はどこに向かっているのかわからない瞬間が多かった。
有給を取り、図々しく大好物のミスドを頬張りながら、
私に必要なのは学生時代までの力技の努力ではなくて細く長く虎視眈々とやり続ける力だ
と気がついた。
きっとこれからも、なにか少し足りなくて
自分の感情に飲まれて泣いたりするけれど、
ゆっくりゆっくり人生の航海を進めていきたい。
私らしさを忘れるくらいなら、自分になくてはならない能力なんて一つもない。