[エッセイ]脳内不思議人間ガール7
どうして自分がこうなってしまったのか・・・
小学生、中学生、高校生のころは自分が双極性障害になることなんて全く見当もしていなかったです。そりゃそうですよね。楽しく学校で遊んでそこそこ勉強して毎日大好きな友だちに会えて何にも考えていなかった日々でした。
就職が決まったら学校には行かずに近くの川で遊んでいたあの夏。靴が泥だらけになって自転車を漕いだ時もあった。
学校サポって友達の家でホイップクリームを作ってイチゴジャム入れてパンに塗って食べたり。ちゃんと青春してたなぁ。
就職が決まって社会という厳しさを知りました。独身、実家暮らしとのことでまだまだ甘々な生活だったけど今となってはいい経験をし絶対に調理師免許を取ってやると言う意地でちゃんと頑張った気がする。五年間よく頑張った。その後は転々と仕事をする日々でした。24時間営業している託児所で保育補助の仕事や保育園のお昼ご飯の調理、カラオケ、お風呂屋さんスナック、ラーメン屋そしてヤクルトレディー たくさん仕事したなぁ。でも全部楽しかった。閉店や移転などで辞めざる負えないこともあったけど経験値としては色々培われてきたと思う。
お風呂屋さんを最後に私は生活保護を受けることとなりました。
先ほどもお話ししたと思いますが私は週5フルタイム実質9時間で働いていました。朝5時に起きて、7時に子供を保育園に送って行ってお迎えの時間が18時。本当に子供も頑張ったと思います。なぜ受けることになったかは理由は明確でいつも保育園に迎えに行くときに
頑張って笑顔を作って迎えてたつもりなんですが先生が私に笑顔が本当の笑顔じゃないとおっしゃってくれて、「シングルマザーの方結構生活保護受けながら働いてる人多いですよ」と言ってくれて初めて働きながら生活保護って受けられるんだと知りました。
あの言葉がなかったら今頃どうなってたかは想像つくし恐ろしいです。保護課の方は優しくて色々と本当にお世話になりました。一回目の入院も保護入ってなかったらどうなってたか・・・恐ろしい・・・
生きるために恥ずかしいとかプライドがどうとか言ってる場合者ありませんでした。一刻も早くお金が欲しかったです。
本当に生きるって向いていないれど息子と一緒に入れば毎日が楽しくてくだらなくて笑いあえてる日々がどれだけ幸せか。
あったかい布団がどれだけ幸せかどん底に落ちたからこそ当たり前が当たり前じゃなく感じる。貴重な時間と感じれる。
どうしてこうなったかなんて理由は無い。
ただただ人よりちょっとだけ繊細だっただけ。
優しい人が笑って暮らせる世界に私はなってほしい。優しい人が優しさだけで損をしないように。