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【短編小説#24】

「これ動くの?」ゲームテーブルを眺め回しながら客の男が声を上げた。窓ガラスから差し込む初冬の力の弱い陽が男の顔半分に当たっている。

 この辺りには職業を生業とする大人が多い。そのせいか決して多いとはいえないこの店の客は正午とは関係なくここにやってくる。

 この時間の客はその客のほかには五十がらみの勤め人風の男がひとりガラケーを覗き込みながらナポリタンを突っついているばかりだった。

「わからない」女主人がその客の前にコーヒーを置く。

「インベーダー?」

「えっ?」ママが耳の裏に手をあてる。

「インベーダー?」客の声が少し大きくなる。

「そうじゃなくて麻雀」

「マージャン…へえ」客は再びテーブルを眺め回す。

「使わないの?」

「うん。お客さんが残しておいてくれって、そのひと、そう言ったきり来なくなったのよ」

「ほお…」

「そのとき六十くらいだったから、今じゃ九十くらいじゃないかな、もう死んじゃったんじゃない」

「そうなんだ。残しておいてっていわれてそうしているなんて…そのひととなんかあったんじゃないの?ママ」

「そんなことあるわけないじゃない」奈保子は遠くを見るようにしながらその男との記憶を辿った。

 髪を短く刈って、いつでも、色物のシャツに紺色のズボンを着けたサンダル履きのその男は週に一回の頻度で昼めし時をずらしてやってきた。

 店に入った右手奥のゲームテーブルが彼が決まって座る場所だった。そこが埋まっていると黙って店を出て行った。

 彼はサンドウィッチやナポリタンなどの軽食を済ますとコーヒーで一時間あまりゲーム機を相手にあまり粘った。

「このあたりのひとじゃないわね…」奈保子がこの辺りの話題を向けると男は三白眼を久美子に向けた。

 彼の威圧的な視線に奈保子は一瞬たじろいだが、恐れる理由もないから、

「そんな恐い目をしなくてもいいじゃないですか」彼女がきっぱりと言った。

「すまん」彼の声は嗄れているがよく響いた。

 時々、男はすれ違った男達の大方(おおかた)が振り返るほどに、若くてびっくりするようないい女を連れてやってきた。ゲーム機に向かう彼に女が声をかけると「黙っていろ」男が声を上げた。

 言われた女は黙ったままタバコをふかしたりしながら男の姿を黙って見ていた。

 店を出たところの交差点でスピード違反のトラックに轢かれた奈保子の亭主は四十そこそこで死んだ。

 店と借金が残った。厨房は同業者の紹介で将来、店を持ちたがっている若い男に任せた。

 その男はランチタイムが終わると休憩時間を取って近くの自宅に戻った。

「壬生さん、ちょっと」奈保子の声にゲーム機に向かう男が顔を上げた。

「だれもいないから…」奈保子が店の二階につながる階段に目をやると、男は腰を浮かせた。

「ちょっと遠くに行かなくてはならなくなった。しばらく寄れない」壬生七郎が言った。

「…ゲームは」

「残しておいてくれよ」彼は薄く笑みを浮かべた。奈保子はそのときはじめて、彼の笑顔を目にした。

 …

 しばらくして見知らぬ女が訪ねてきた。

「どこに行ったのよ。知ってるでしょ、あのひと、あんたに気があったみたいだから」金切り声を上げた。

「知るわけないじゃないか、とんだ言いがかりよ。逃げられるのが嫌なら、ちゃんと首に縄つけておきなさいよ」奈保子の応酬に女がたじろいだ。

「やってみようよ」奈保子は客の男の申し入れに応えて、横着そうに電源を差し込み、スイッチを入れた。

 ゲームはもたもたと立ち上がった。埃が焼ける匂いが立ちのぼる。

「おっ」

「あっ」二人が同時に声を上げた時、ドアベルが鳴った。

 杖をついた男が現れた。

「ナポリタン」嗄れて響く声と眼差しはあの頃のままだった。

―あんた…

「いらっしゃい」厨房から亭主の声がした。

-おわり-

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