渡の周りは才ばかり 1話
鈴木渡。彼の周りには天才と呼ばれる者ばかりいる。
例えば、彼の今すぐ隣の席で話している、ショート髪で周りの男子より少し背の低いブレザーを纏った少女。名を松本才花。彼女は女子バスケ部のエースで、昨年は一年生ながら部の地区大会ベストエイトに貢献している。
例えば、その彼女正面に立つ大柄な坊主の男。彼は野球部で正捕手の四番。名を近藤圭介。昨年の夏の大会では快音を鳴らしていた。
例えばその彼の横の席座る、窓際の風を受けて眉当たりまで伸びた前髪を揺らしている男子生徒。名を山野秋。彼はサッカー部で十番をつけている。県の選抜メンバーにも選ばれている。
その三人の中、傍から見れば場違いのように特に何の称号もない男子生徒が共に雑談している。名を鈴木渡。生物研究同好会の会員。以上―。
「お前もサッカー部はいればよかったのに」
秋があくびを噛み締めながら渡に言った。
「俺は無理だって―」
「そうそう。渡には無理だって。壮君ならまだしも」
才花が渡の否定に乗るように、わざとらしく手をひらひらとさせた。
「はいはい、その通りですよ。兄の方がすごいですよ」
壮とは鈴木壮のことで、渡の兄にあたる。彼は渡のいる高校のサッカー部でキャプテン
をしていた男であり、昨年卒業し、今は大学でプレーしている。
「まあ壮さん上手すぎたけど…。でも中学でやってたんでしょ? それなりに強かった記憶あるけど、渡の時代も」
「あー、それは、ほら。東高の赤海っているじゃん。あいつが化け物だったんだよね。そのお陰で勝ててたというか…」
渡は苦笑しながら言った。
「あー。なるほどね。確かにあれはすごいわ」
秋はとても納得したように頷いた。
「それで入ったのが、生物研究同好会とはまた面白いけどな」
大男、否、圭介が少し枯れ気味の声で言った。
「確かに。てか渡って生物好きなの?」
「んー。特に好きってわけではないかな」
「ならどうして入ったんだ?」
「まあ、なにか入ったほうがいいと思ったから」
渡は控えめに笑いながら言った。
「そうか―。俺からすればもったいない気がするけどな。お前動くの得意な方だろ。サッカーじゃなくても運動部に入る選択肢はなかったのか?」
「うーん。まあねぇ」
圭介の問いに少し言いよどむようにして、渡は目を泳がせた。
その彼の視線の先、すぐ横の窓外から望める山肌には、もうほぼ花を散らした山桜が緑の葉をつけて周りの緑に溶け込もうとしていた。ただそれでも数本は周りに溶け込むどころか、自らを主張するようにその淡いピンクを惜しみなく広げていた。
「駄目だよ圭介。渡にはね、根性がないの。多分運動部に入ってもすぐ辞めちゃうよ」
渡の代わりに答えたのは才花だった。
「ね、そうでしょ?」と彼女はおどけるようにして渡に笑いかけた。
「まあ、そんなとこかな。っておい、根性なしにしないでね俺を」
「あれぇー? 小学校の時監督に怒鳴られて、入って一カ月もしないで野球チームをやめたのは、どこのだれかなぁ?」
「へっ、へー。そ、そんな人がいるんだねー。どどど、どこのだれだろうねー」
そう棒読みする渡の目は、さっきよりも泳いでいた。
「え、渡お前野球やってたのか」
「いやっ。や、やってなんかないよ」
「そーだよねぇ。一カ月も続けてないんじゃやってないも同然だよねぇ」
そう言う才花の口角は悪魔の笑みのようにぐっと悪く上がっていた。
「ちょっと渡さん。それは良くないですよぉー」
秋も才花に乗るように、首を横に振った。
「違うんだって。本当に怖かったんだって―」
「え、どのくらい怖かったの?」
「それは」と渡は思い出すように右上に目をやった。
「まず、ボール回しの途中一回でも投げるのミスると怒号が飛んでくる。二回目以降は罰として走らされる」
「それでそれで?」
なぜかウキウキした様子で才花が合の手を入れる。
「それで、無限に走らさせるのが毎回続いたんだ。もう二週間目で野球が楽しくなくなった。だから辞めたんだ」
最後の方、渡は静かに吐き捨てるように言った。
「ほんとは坊主が嫌だったとかじゃないのぉ?」
才花がまた意地悪く笑うのに対し、渡は「違うわ」と返す。
「さて、どうでしょう圭介さん。野球人代表としてこれについてどう思われますか?」
今度は、秋がインタビューするかのように空のマイクを圭介に向けた。圭介はそれにわざとらしく咳払いをしてから口を開いた。
「えー、ここで確かなことが一つあります。それは…」
圭介が一つ息を吸った。
「それは、少年野球の監督は皆、怖いということです」
「なんと。そうなのですか」
明らか役に入ったように秋はインタビューもどきを続けた。
「ええ、そうなのです。私も経験したことなのですが、少年野球の監督。彼らは人間ではありません」
「なんと、人間ではないのですか」
「はい、彼らは鬼です」
「なんと。鬼ですか。それなら渡さんが一カ月でやめてしまっても仕方ありませんね」
「ええ、本当にそう思います」
そんな二人のやり取りを、渡は呆れたように苦笑いを浮かべ、眺めていた。
「では、あれですか―」
「二人ともちょっと待って」
秋がインタビューごっこを続けようとしたその時、突然才花が真剣な表情をして二人を止めた。
「どうした才花」
渡は、才花が自分のことからかう二人に注意してくれるのだと期待した声と表情を彼女に向けた。
「あのね、二人とも。人間じゃないとか、鬼とか、そこまで強い言葉を使うなら、『※あくまで個人の意見です』って必要だと思うんだけど」
期待した俺がばかだったと聞こえそうなほど、渡の肩がガクッと落ちた。
「確かに。なら、才花はテロップ頼んだ」
「オッケイ。あと、効果音も足しておくね」
「おう。よろしく」
秋と才花の会話は、もう渡の耳を通り抜けていた。
「では続けていこうと思います。改めてよろしくお願いします」
「はい、お願いします」
「では、実際に鬼だと思ったエピソード等あれば教えていただけますか」
「はい。そうですね。あれは私が小学五年生のころだったでしょうか」
「ぽわんぽわんぽわん」
才花の効果音と思しきものが入った。
「その日はとても暑くてですね、チームメイト共々集中が続かずノックでミスが頻発していたんです」
「ええ」
「それで、監督もイライラしていて、“次ミスったらどうなるかわかってんだろうな”って言われて。もうこれは本当に後sがないなと思いました」
「はい」
「ただ、すぐ次のことでした…。ああ、今でも思い出すだけで恐ろしいです」
二人の喉が動いた。一人は頬杖を突きながらどうでもいいように聞き流していた。
圭介は顔をこわばらせ、その三人の方を見てから続けた。
「サードの人があろうことかトンネルをしてしまったんです」
「ええっ」
「ざわざわ」
「次の瞬間、バギッッ! ととてつもない音がしたんです―。一体なんだと全員がその音のする方を見ました。するとそこには…」
「そこには?」
圭介は大きく息を吸ってから、静かに言った。
「折れたノックバットの破片が転がっていました」
全員絶句した。どうでもいいと聞き流していた渡も、頬杖を突いたまま目を見開いて思わず息をのんでいた。
「その後は罵倒の嵐でした」
「ピ―――――」
「だの、お前ら―」
「ピ―――――――――――」
「して」
「ピ―――――」
「するぞマジで。おい、」
「ピ――――――――――――」
圭介が放つ暴言に被せるように、才花がどうにか効果音でそれを伏せる。
「さらに、それだけでなく、とうとう手まで―」
「テーテンテテン、テーテーテテン―。只今映像が乱れております。戻るまで少々お待ちください。テーテーテテン―」
まだ圭介の口はパクパクと動いて何か話しているのだが、その上にモザイクどころか別の画像を差し替えるように、才花がどこか閉店の合図で聞いたことのあるような曲を、鼻歌で被せた。
それでもその音の隙間から漏れ聞こえてしまったのか、渡の表情はどんどんと強張り、青ざめていった。
「―というようなことがあって」
圭介が話し終えると皆黙りこくってしまった。
春の柔和な陽気はどこかへ、四人座る席の周りだけ真冬のように冷え冷えしたようだった。
訪れた沈黙。
それを誤魔化すように、才花はやり切ったように額を拭った。
「ふぅー。どうにかコンプラ守ったぜ」
「うん。才花、本当にありがとう。でもできればテレビの前の皆さんだけじゃなくて今目の前にいる皆さんにも聞こえないようにしてほしかった」
渡の悟りを開いたような声に、才花はただ「ごめん」と言った―。
「まあでも、よくそれでやめなかったね」
秋は向けていた空のマイクをいつの間にか下ろしていた。
「まあ、好きだったからな。今も好きだけど」
何とはなしに、ぱっと出したような圭介の言葉。それを聞いて、秋と才花は同意するように、納得するように頷いた。ただ、渡だけは、その体をかすかに震わすだけだった。
「あ、やべっ。もう授業始まる」
「ほんとだ」
そう言って、圭介と秋は自分の席へと戻った。丁度そのタイミングで、教室の扉から先生が入ってきて、前の授業の残された板書を消し始めた。
そうして消しても消えず広がってて残り続けるチョークの白い痕を、渡はただじっと見つめていた。
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