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あの日、妹がいなくなった

 私が4歳のとき、妹が生まれました。 赤ちゃんの誕生は周りの大人たちにとっては喜ばしいことだったけれど、私にとってはどうだったのか、今となっては思い出せません。

 ただ、妹は病気がちでした。 生まれてから何度も入院し、そのたびに母は妹につきっきりでした。 当時、父の仕事の都合で埼玉の所沢に住んでいました。 母が病院に泊まり込む間、私は遠方に住む母方の祖母や伯母に面倒を見てもらったり、友達の家に預けられたりして過ごしていました。
 妹が退院すると、私は母を独り占めしたくて、妹にちょっかいを出していました。 妹をつついたり、おもちゃを取ったり、何かと気を引こうとしました。 だから、上の子の気持ちはすごくわかります。 でも当然、母に怒られますよね。 「外に行きなさい!」と叱られ、追い出されて玄関ドアの前で泣いていたこともありました。

 妹が1歳の誕生日を迎えたあと、はしかにかかってしまいました。 病院に運ばれましたが、そのまま帰ってくることはありませんでした。 亡くなったとき、私は近所の友達の家で遊んでおり、そのことを祖母に伝えずに家を出てしまって、母に叱られたことを覚えています。 母は勘で友達の家に来て私を見つけ、家に帰りました。 そして私は、布団に寝かされた冷たくなった妹を見たのです。
 5歳の私は「死ぬ」ということがよくわかりませんでした。 それまで人の死に直面したことはなかったので当然ですよね。 ただ、葬儀場で妹の身体が焼かれ、骨になったとき、初めて何かが決定的に変わってしまったことを感じました。 白くなった骨を箸で拾い上げるように言われ、その感触は今でも忘れられません。

 その後、私は小学校に上がる前に父の実家へ引っ越しました。 新しい土地での生活が始まると、妹のいない日常が少しずつ当たり前になっていきました。
 小学校に入ると、田舎だったこともあり、一人っ子はあまりいませんでした。 家に帰っても同年代の遊び相手がいないのは寂しかったです。 だから、兄姉弟妹がいる友達がすごくうらやましかった。 数年後、父と母に「兄姉弟妹がほしい」と駄々をこねたこともありました。 でも、きっともう子どもを持つことが恐怖になっていたのだろうと、子どもながらに思いました。

 今でも時々考えてしまいます。 もし妹が生きていたら、私はどんな姉になっていたのだろうか、と。 そして、自分の子どもには私が幼い頃に一人っ子として感じた思いをさせたくなかったので、2人は絶対に産もうと決めていました。 幸い2人授かることができ、本当にありがたかったです。
 
 私が妊娠したとき、母は心配そうでした。 きっと、自分が悲しい思いをしたからだと思います。 母は妹を出産する前に弟を死産していました。だから2人ともに生きていたら、私は3人兄弟だったわけです。私が2人目を無事に出産したときは、私以上に母が安心していたような記憶があります。

 育児は想像以上に大変ですが、これからも成長を楽しみながら見守っていきたいと思います。 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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