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【エッセイ】アメリカ人高校生がわが家にやってきた!

 前回の記事では高校の交換留学生としてアメリカを訪問したことを書きました。今回はその交換留学の受け入れについて書いていきます。つまり、ホストファミリーになったわけです!!

 高校2年生のとき、アメリカ人の高校生をホストファミリーとして受け入れることになりました。初めて会うわけではなかったけれど、それでも彼女がわが家に滞在するとなると、楽しみでありながらもドキドキしました。私たちは、彼女が快適に過ごせるようにいろいろと準備を進めました。寝具や部屋の片付けはもちろん、食事の好みについても事前に確認。日本の家庭料理に慣れていないだろうと思い、できるだけ食べやすいメニューを母が考えていました。

 10日間の滞在は、まさに「英語づけ」の日々でした。私の英語力は学校で習った程度。高校の英語の授業ではリーディングや文法を重視していたので、実際の会話ではうまく伝えられないことが多かったです。当時はまだ電子辞書がなく、分からない単語が出てくるたびに紙の辞書を引いていました。会話に時間がかかることをもどかしく感じつつも、身振り手振りや伝えようとする気持ちが大事で、相手も理解しよう、伝えようと努力してくれました。
 彼女もまた、日本での生活に慣れようと頑張っていました。テレビをつけても、ほとんど理解できません。食事の面でも、日本ならではの味付けや食材に戸惑うことがあったようです。それでも、苦手なものは避けながらも、新しい味にチャレンジしようとする姿が印象的でした。でも、さすがに納豆と梅干しは、においだけで「うーん」という感じで、受け入れられなかったようです。私がアメリカで頑張って食べたオートミールのような感覚でしょうか。

 ちょうど父の日が滞在期間中にあり、彼女にアメリカの家族へ電話をするよう勧めました。久しぶりに家族の声を聞いて、少しホームシックになってしまったようでした。離れている時間が長くなると、母国が恋しくなるのは当然でしょう。それでも、「日本での生活を楽しんでいるよ」と明るく話していた姿が印象に残っています。

 頼りになるはずの父は単身赴任中で平日は不在でしたが、週末には帰ってきてくれました。英語が堪能(?)な父がいることで、彼女も少し安心した様子。父も英語で会話をしようと試みるものの、なかなかスムーズにはいかず、それでもお互いに伝えようとする気持ちは伝わりました。
 振り返ってみると、たった10日間だったものの、異文化交流の大変さと楽しさを両方味わった貴重な経験でした。言葉が通じなくても、相手を理解しようとする気持ちが大切なのだと実感した日々でした。

 そして、2年にわたり生の英語に触れて思ったこと。それは、日本の英語教育を受けても話せるようにはならないということでした。当時の授業だけでなんとか通じたけれど、どこか違うのではないかという気持ちが大きくなりました。その一つの理由は、日本にアメリカの生徒が来たとき、英語の先生が話せなかったし、話しても通じてなかった。。。あの出来事は私にとって衝撃的でした。授業でスピーキングはあるけれど、教科書に書いてある文章しか読まないし練習しない。それでは考える力はつきません。学校の授業は受験用。この出来事以降そのように割り切り、話せるようになる英語は大学でがんばろう、そう誓いました。今の義務教育での英語教育が変わっていることを願っています。ある意味娘の学校の英語の授業が楽しみです。

 この交換留学で学んだ経験が、その後の私の人生に大きな影響を及ぼしたのは事実であり、海外生活への憧れがどんどん大きくなっていきました。そのお話はまた次回以降書いていきますね。


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