知らないことがあるということは、まだまだ自分の伸びしろがあるということ。
YouTubeである方の話の中で、
「 知らないことに、人は恐れを感じる。」
そのようにおっしゃっていました。
別のYouTubeの精神科医の方は、
「不安を消すには情報を取り入れよう。」
とおっしゃられていました。
捉え方の方向性から、言葉は違えども同じ意味のような気がします。
分かっていることを増やすと不安は取り除かれ、恐れも小さくなっていく。
というようなことだと思います。
また、
感情ではなく、事実に目を向けよう。
とも言い換えられます。
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上記をふまえて、タイトルの内容に近づきます。
一般的に「知らないこと」に対しての印象はどのようなものでしょうか。
ネガティブな印象の例を挙げると。。。
△ 知らないなんて恥ずかしい。
△ 初めて聞く組織や団体、ビジネスなどに、嫌悪感。怪しさを感じる。
△ 知らないものを習得するのは面倒だ。
△ 知らないものは、まず否定から。
(食わず嫌いのような感覚)
これらのような心境は、
おのずと知らず知らずのうちに「知らないこと」を切り捨てる行為になります。
さて、切り捨てるとどうなるか。
当然、自分の中の知識の量があまり増えません。
すると本当に苦しい局面に来た時、
あの手はどうだ、この手はどうだと乗り越える際の「選択肢」があまりないことに気がつきます。
その結果、すぐに手段がなくなり、感情だけが残って八方塞がりの流れです。
それとは逆に、
知らないことを否定せずに、新しい情報を「知る」というのは、
「選択肢」が広がるため、色々な手段でピンチを切り抜けたり、
事前にピンチを避けることもできるでしょう。
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そこでまた上記をふまえて、改めて記事のタイトルです。
「 知らないことがあるということは、自分にはのびしろがあるサイン 」
私は若い時、本屋さんをウロウロすることが好きでした。
ですが、大きな書店を歩き回っていると、こんなコーナーもあるの?こんな分野もあるの?
。。。と自分の無知を感じて不安になってしまうことがありました。
他には、
新しい職場では知らないことばかりで、
今振り返ると当然のことなのに、
教えてもらうばかりの状況に未熟さを感じていました。
勝手な自分の思い込みで「知らないこと」をネガティブに捉えていたんです。
それに比べて2歳くらいの年齢のこども達は、
しつこいほど「これなに?これなに?」ずーーーっと聞いてきます。
全く思い込みなく聞いてくる動機は「好奇心のみ」です。
そう考えた時に感じました。
「知らないこと」は全く恥ずかしいことではなかった。
むしろ「知らないこと」が目の前に現れたときは、自分の幅がひとつ広がるんだと喜ぼう!
新しい情報をどんどん知っていこう!
これらが、人生を生き抜く道具になると。
。。。と同時に、このことは、
私のこども達が家を出る日まで言い続けようと思いました。
機会があれば、こどもの友人達にも。
個々に持つ情報は、その人を映し出すものになるでしょう。
そしてお互いに情報を共有し、お互いを高め合える。
必要な情報は、必要な時に目の前にやってきます。
決して自分の思い込みで大切な人生の道具を切り捨てることがないように、
私自身も「知らないこと」が目の前に現れたときは、
積極的に受け取っていくぞと、記事を書き終えてなんだかやる気が湧いています。
大切な人生の時間の中、
最後まで読み進めてくださった方々、ありがとうございました。
もしよろしけば、他の記事もご覧になって、
何かの人生の気づきを発見されることがあれば幸いに思います。
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