どうして学生助けたいんじゃーの活動は発足したのだろうか

 助けたいんじゃーのキウイです。
 今回は、最近考えていることについて書いてみます。

「どうして、学生助けたいんじゃーは発足したのだろうか」

 「学生助けたいんじゃー」の活動について話す場では、多くの人に「いい活動だね」と言ってもらうことがある。

 たしかに私も、一緒に活動しているみんなのことを、すごいな、立派だな、と思う。

 しかし、最近思うことがある。

 こうしてnoteに書いたり、なにかの会でプレゼンをさせてもらったりしたときに、「いい活動だね」だけで終わってしまうのは、モヤモヤしてしまう。

 助けたいんじゃーは、「困ったときに誰かに助けてもらえる権利」という、すべての人にとってあたりまえの権利を守りたいだけなのだ。

 本来は、わざわざこうして訴えなくても、あたりまえの権利が守られる社会だったら良かったのに、と思ってしまう。

一緒に考えたい

 私は、よく、いいニュースはそのまま受け取り、見たくないものから目を伏せてしまう。

 美談は美談のままで、語ろうとしてしまう。

 しかし、ものごとはそんなに簡単ではないような気がする。

 私たちの活動も、応援してもらえるのはありがたいことであるし、嬉しい。

 でも、それだけでは、本来の目的は達成されない。

 「学生同士で助け合って、頑張って!」

というだけでは、少しもやもやしてしまう。

 学生だけではなく、先生や、県や大学にいる学生の周りの大人たちにも、一緒に問題について考えてほしい。

 本当に改善すべきことは、社会の仕組みや、大学の仕組みだと思う。

 学びたいのに、金銭的な理由で学びが続けられなくなってしまう友達もいる。
 
 学ぶため、生活のために無理をして、体調を崩してしまう友達もいる。
 
 誰にも「つらい」、「困っている」と言えずに、孤独になってしまう場合もある。

 だからこそ、困っているときには「困っている」と声を挙げることができて、問題の解決につながるような仕組みが、もっと広がってほしいと、私は考える。

 困っていることを、学生の自己責任で終わらせられてしまうのは、悲しい。

 学生助けたいんじゃーの活動が広まることも大切だけれど、それ以上に「学生助けたいんじゃーが、なぜ発足しなければならない状況になったのか」をみんなで考えることも、大事だと思う。
 
  私たちの活動は、社会の仕組みがもっと違っていたら発足しなかった活動だ。

 誰かが声を上げないと変わらない状況だったから、発足した。

「なにか困っている人のためにできることはないか」と取り組んでいた仲間が始めたのだ。

 でも、それは前向きな気持ちだけではないように思う。
「このままだと大変なことになる」という危機感のような気持ちが要因だったと思う。

 

  このところ、助けたいんじゃーにも、応援してくれるあたたかい方が増えてきた。

 その方々は、「いい活動だね」という言葉をかけてくださるだけではなく、困っている学生の状況に注目してくださるのだ。助けたいんじゃーが発足するに至った状況を、理解してくださる。

 「このまま何もしないのは良くない」と同じ思いを持ってくださる。

 そして、これを読んでいる方にも、どうか一緒に考えてほしい。

 どうして、学生助けたいんじゃーが発足したのか。

 発足せざるを得ない状況だったのか。

 私も、問題の根底を見直したいと思っている。

 そしてそれを、みんなに伝わる言葉で届けたい。

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