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「困っている」って見えづらい

こんにちは!助けたいんじゃーのとりです
今日はたべものカフェに来てくれる学生の声と助けていただきたいことがありnoteを書きました。最後まで読んでいただけると幸いです。

たべものカフェや助けたいんじゃーの活動を振り返って思ったことを綴ろうと思います。

改めて思ったことは、「困っている」って目に見えづらい。
たべものカフェでお話を伺っていて、ずっと思っているのが彼らは「微笑」の裏に苦しみや困っていることを隠す人が多いなということだ。そこには相手を困らせたくないという遠慮があるのかもしれないし、話すのが恥ずかしい等人によって様々な理由がある。
だから「相談してね!」と言われてもなかなか相談できない。

だからこそ、話してもらったら「ありがとう」と感謝を伝えるし、どうにかしたい!と動き出すのだと思う。そして、「話してもらえた」ということは私たちのことを少しでも「信じてもらえた」ということなのだと思う。「ありがとう」という言葉を伝えずにはいられないのだ。
県大には声をあげていい場所がどこにあるのか分からないし、伝えても受け入れられないこともある。

大人の中には「自分で苦しむのも大事だ」と言う人もいる。もちろん苦労することで得られるものもある。しかし、「助けて」と言っても「もっと頑張れ」で返されてしまう社会なんて希望がないように見えてしまう。もし、「助けて」と言って誰かが一緒に考えてくれたら、今度自分が「助けて」と言われたら一緒に考えようと思ったりできるのではないだろうか。

「誰も置き去りにしない」というのはみんなが同じスタートラインからずっと手をつないで最後までゴール!というのではなく、みんな違う背景を持って、違うスタートラインかもしれないが、一緒に考えて助け合って時には大変な目にあいながらもゴール(解決)を目指すものなのだと私は思う。誰かが寄り添って考えてくれることが必要なのだ。

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