感謝の気持ち

 僕は多くの人々に愛され、応援されている。家族の繋がりを僕は心底大切に思っている。僕の未来はいまだ模糊のままだ、頭脳自体も濛々としているがここのところ一週間散歩に行けている。その事を母親に褒められた。人からの毀誉褒貶、悪口雑言、乱暴狼藉、人間が生きていればそれらの刺激を回避する事は出来ない。ネット上での活動はより人からの攻撃を甘んじて受け入れる姿勢が重要と捉える人もいる。それでもエックスなどでも僕を応援してくれている人はいる。深い言葉だとか、僕を優しく、穏やかでユーモラスで知的で博識とみなす人々もそれなりにいる。僕はnoteで良い記事を書く為の発想力があるのかどうかは分からないが、僕はとりあえず言語化能力を鍛え、発信していく事で何らかの存在感を示したい。
 僕は感謝の気持ちを忘れないようにしたい。応援してくれて、助けてくれて当然だと思ってはならない。僕は倨傲な精神を捨て、今は出来る限り常識的でいようと努めている。こんな僕はもうナルシシストでも、プライドが高い人ではないだろう。良いんだ、これも成長だ。
 長い間、僕は統合失調症の治療をしていて、一時期は寛解していた時もある、でもそれも良くなったり悪くなったりを繰り返していた。自分にストレスをかけ、罰し、自己否定をし、孤独の中で人知れず悶々とする時間を過ごす事も多かった。
 高校時代は僕の統合失調症に配慮してくれる教師も生徒もいなかった。皆僕を可哀そうな人ではなく、普通の人として扱った。それはある局面で見れば嬉々として受け止めるべき事象なのかも知れない。それでも悶え、苦痛に総毛立ち、たちどころに不快感を呈するようになっても周囲は、どうでも良いだとか、緊急の判断は保留していた。教師達は学校に僕の両親を呼び出し、「この生徒を、我々はどうすれば良いですか?」と言い放った時もあった。僕はテストでも稀に好成績を叩き出した事もある。元々の知能は高いと主治医は言った。稀代の、早熟の患者だと当時の主治医は憚らず言及していた。知能に問題はないので僕に知能検査は必要ないと彼は、好々爺の彼は口にしていた。彼は僕を発達障害ではないとした。
 そんな時代もあり、今がある。僕は過去の僕の人生における窮状は正直どっちもどっちだと思う。自分への顧慮や斟酌を求めるのならまず自分自身が人々に何かを与えないといけない。だから僕はそれから教訓を得て優しく穏やかな性格を徹底的に維持するようにしている。自分の過去を思い出し、忸怩たる思いに包まれ、懲戒的に己を苦しめる事ももう辞めたい。良いじゃないか、自分を安心させてくれる人々を思い出し、自分を慰撫していきたい。僕は人々を笑顔にしたい、嘲笑や冷笑などの類ではなく、非常にポジティブな意味での笑いだ。多分僕には病気が良くなればそれは理論的に可能だと思う。皆さん、僕を寸毫でも気にかけてくれてる皆さんも、いるのかどうかは分からないファンの皆さんも、ありがとう。経済的に赤貧であっても心の豊かさ、強さは際限なく発達させていきたい。

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