Advance
僕は青年期前期にかけて夭折の早熟な天才の存在と共にいた。僕の胸中には彼らの存在がいて、持って回ったかのような弔辞を反芻していた。統合失調症になってからの現実は長らく阿鼻叫喚の地獄絵図そのものであった。人に阿る事もせず、よくいる高二病患者のように大勢から拍手喝采される事を望んだ。正直自分の苦痛がその年代特有の抑鬱を伴った色彩を帯びた症状だったのかどうか、それは専門家でも判断に困るところだろう。
僕は幸福だった、しかし同時に不幸でもあったあの少年時代に戻ったような感覚を禁じ得ない。しかしそれは戻ったのではない。乗り越えてきた艱難辛苦、背水の陣の記憶は今でも有機的に僕の神経に染みついている。進んだのだ、アドバンスだ。僕はこの区域にまで足を踏み入れるのに甚だしく長い期間を要した。もし僕が頑迷でなければ、もし僕が大人であればこれほど長い時間を苦悩する事はなかったのだろうか。しかし過去を悔いていても仕方がない。今の僕は散歩も継続出来ているし、今日は幻聴もなかった。朝と昼にコーヒーを愛飲する事で科学的に自分の心を安堵させるというルーティンが完成した。科学の御代の奏功である、何と科学が幅を利かせる世の中だろう!僕はこの恩恵を最大限借用し、悦に浸っている。僕には僕に相応しい生き方があると今は考えている。
僕は本当に健康を取り戻した。それにより病的だった頃の僕の魅力は損なわれただろうか。しかし過去の僕の記録もこのネットの世界に鎮座している。食指が動けば見れば良いだろう。僕はカフカやランボー、ガロアの世界を疑似体験していた。僕にとって彼らは燦然と輝く、超天才としてではなく、どこか自分と似ている節のある人間に思えた。彼らの持つ普遍性や滾った情熱、存在の瑞々しさが僕を一層活動的にさせる。
僕は進んだのだ。紺碧の空、不条理な轍、一見無意味に思える散在する芥の山が、即ち僕の内的な土地が僕を更に発展させようと渇望を惹起させる。これは高度経済成長期の日本人の魂に幾分か通底するところのあるものに思える。まあその極端な意見を、明晰に論証したり実証したりする事は今の僕には出来ない。しかし刹那的に不可能である事も、未来では出来るようになっていると僕は希望を見出している。これは僕の中学時代に思い描いていた未来とは期せずして差異のあるものである。しかし僕はこんな状況を否定しない、自分の過去の痴呆を取り上げて自分を糾弾する事もしない。
古色蒼然の刊行された文学を拝読した経験も決して無駄ではないし、恋愛の機会を完全に見失った僕も駄目人間などではない。僕には多分魅力があるだろうから前途、享楽していきたい。