蓮華山麓─若い日の放浪
あとになってからそう思うのだが、若い一時期、自分がどこへむかっているのか自分でもわからない放浪の時代を過ごすのは決してムダではない。
会社を辞めて、行った夏の山小屋で、私は女房と初めて会っている。いやそのときは、後に夫婦となるとは互いに夢にも思っていなかった。彼女もまた、勤めを辞めて放浪をはじめたところであった。
山小屋が閉まって下山した後、私はシンキチ君の家にしばらく居候して彼と一緒に農協の米集荷のアルバイトをした。シンキチ君はやはり大学生で山にバイトにきた後、山に魅了されて中退しそのまま支配人格で山小屋で働くようになり、結婚して麓の村に住み着いていたのだった。
当時の農協は、まだ60キロ入りの麻袋で玄米を集荷しており、体重55キロの私にはものすごく過酷な重労働だったが日給10000円もらえるのは魅力で、ガタイのよいシンキチ君にハッパかけられながら乗り切った。
考えてみれば、これが「田舎に住んで農業にかかわった」初めての経験だった。というのは、私がおぼろげに指向していた方向性は、田舎暮らし、自給自足、農的生活、というライフスタイルだったからである。