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「偶然」による団体の立ち上げ

一般社団法人日本金融教育支援機構 代表の平井です。

「金融教育の団体を立ち上げたい。」
そんな私のわがままに応えてくれた初期メンバーがいます。
かつての私は、「生涯会社員として生きていく」以外の未来は描いていませんでした。

団体を立ち上げるきっかけは、いくつもの偶然と縁が重なったものでした。


コロナ禍での退職

2020年のコロナ禍での自宅待機。

2週間、5歳と1歳の子どもと過ごす中で、育児と仕事を両立する難しさを痛感しました。

当時勤めていた大手金融機関では、在宅勤務は全く普及していませんでした。
特に私の部署は絶対に在宅不可。

保育園も閉鎖され、家庭と仕事の狭間で日々を過ごす中、夫や上司との折り合いも日に日に悪化していきました。

全く改善の兆しがない中、2021年12月末、ついに会社を辞める決断をしました。

退職後は、在宅で金融に関わる仕事を必死で探しましたが、当時はそんな求人は皆無でした。

もし、独立の時期が少しでも遅かったならば、他の会社で在宅で働く道を選んでいたかもしれません。
でも、そうなると、この団体やメンバーたちとは出会わなかったことでしょう。

若年層向けの金融教育への想い

証券会社や保険会社にて勤務しましたが、私の配属はほぼ消費者に近い部署でした。
毎日100件を超える対応を行う中で、お客さんの理解不足によるトラブルが多いことに気づきました。

「理解していなかった」から始まる金融機関への不信感や後悔を目の当たりにしたとき、
日本人が金融リテラシーを高め、金融機関と対等に話せる力を持つ必要性を強く感じるようになったのです。

もしかして、「金融や保険の商品の販売について説明することと同じくらい重要なことなのでは?」と。

ちょうどその頃、いくつかの会社が金融教育に乗り出していました。

私自身、説明会に出席し、採用面接も受けました。
しかし、教材の内容が消費者目線とほど遠いもの、商品販売に偏りすぎているもの、現場では使いづらいものが多かった印象です。

そんな時にタイミングよく、業界の第一人者である、山中先生の団体で出会った中林から、声をかけられました。
「それなら私たちが作ればいいんじゃない?手伝うよ。」と言われたのです。
中林は設立時の理事の1人でもあります。

仲間たちとの出会い

(写真左から) 吉村、中林、阿部、平井

山中先生は、金融業界の上下関係をいい意味でなくそうとされており、活動当初から新参者を暖かく応援してくれました。

さらに、中林が背中を押してくれたこともあり、メンバーを集めようと動き出しました。

しかし、営業経験ゼロだった私は、名刺交換すらままならず、ZoomやPowerPointもほとんど使ったことがありませんでした。

それでも、頼もしい仲間たちに恵まれました。

最初に手を差し伸べてくれたのは阿部奈々。
同時期に、全く異なる場所で独立してPRとして活動していました。

たまたま出会ったのですが、未知の金融教育分野に飛び込み、右腕としてPRを中心に一から作り上げてくれました。

団体のブランドを構築し、金融の「難しい」「分かりづらい」を「分かりやすい」に変えてくれました。

次に加わったのは動画クリエイターの吉村

東京出身の彼女は、静岡にIターンし、自宅を紹介するYouTuber。YouTube動画で5万回再生を達成する才能の持ち主でした。

彼女との出会いもたまたまです。

黎明期の団体では、彼女の動画制作が大きな力となりました。

全国大会の表彰式の撮影や動画編集は、今でも彼女が担当しています。

そして、デザイナーのうぃる。

大学時代の後輩で、「借金の依頼以外は断らない」と決めてくれていた彼女が、団体のロゴや名刺、チラシ作成を一手に引き受けてくれました。

うぃる作成:団体のロゴ
うぃる作成:FESコンテストのロゴ


さらにもう1人、SNSから問い合わせをしてきた大学院生がいます。

彼は、「怪しい団体を潰したい」という、変わった目的で連絡してきたのです。
しかし、交流していくうちに、いつの間にか24時間体制でサポートしてくれる、頼もしい存在になりました。

その後、彼はこの経験を糧に、第一志望の企業に内定を得て巣立ちました。

後にも先にもこんな志望動機の学生は現れないでしょうね。

このように、金融に偏らない個性あふれる仲間たちとの出会いが、団体立ち上げに踏み出す一歩となりました。

2022年8月に設立発起
12月28日に5名の社員にて登記を行いました。

(写真左から)阿部、吉村、うぃる

この発起から登記までの空白の4ヶ月については、また次回に。

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