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令和6年11月25日(月曜日)「今日は何の日」かな れいわ新選組の山本太郎代表のX(エックス)」1月20日に、能登訪問のポスト見ました。能登震災の復興に関するレポート、臨時国会の大きな武器になりますね。少数与党、いよいよ山本太郎の願いも叶うと思います

令和6年11月25日(月曜日)「今日は何の日」かな れいわ新選組の山本太郎代表のX(エックス)」1月20日に、能登訪問のポスト見ました。能登震災の復興に関するレポート、臨時国会の大きな武器になりますね。少数与党、いよいよ山本太郎の願いも叶うと思います
◎おはようございます(お楽しみ様です)

皆さん、お楽しみ様です
今日も、生かされている事に
感謝です

11月28日から臨時国会が始まりますが
れいわ新選組の山本太郎代表は
11月18日の埼玉のおしゃべり会から後
何をしているのかな
きっと、臨時国会の準備かなと思っていたら
20日は、能登に行って
震災の現場を見て回ってくれていたのですね

きっと、選挙では、
体調が悪く
それからどのくらい戻ったのかはありませんが
11日の国会の初登院の時には
当選した議員が、全員集まった街宣では
【LIVE】山本太郎代表街宣!れいわの衆議院議員 全員集結!(11月11日 東京都・池袋駅西口前)

https://www.youtube.com/watch?v=DLgMUsjuY5U

皆、当選した後も
休んでいないのだから
しばらくは休んで下さいと言っていましたが
本人は、休まないのですね

しかも、能登で、しっかり調査したのか
その結果は、「X(エックス)」で
長い報告しています

https://x.com/yamamototaro0/status/1860670770005094831

それが、本当にすごいですが
「X(エックス)」では、短い動画をつけていて

介護施設を訪問した時には
介護施設の人からマイクを借りて
「国の方が、動きが遅くてすみません」と謝ったり
介護をしている皆さんにも、利用している皆さんにも
たくさん苦しい思いをさせていることを国に伝える事を約束して
「私は諦めない」と力強く言っていました

でも、この「X(エックス)」のポストは
自民党や公明党だけでなく、野党の立憲、維新、国民民主党なども
内心は、苦い顔をしていると思います

というのも、この臨時国会で、れいわ新選組、山本太郎代表が
相変わらず、能登震災復興について
言ってくるのは間違いないですし
この臨時国会で、審議する
もっとも重要なものは
経済対策の裏付けとなる今年度の補正予算案です

この時に、今迄のような、能登の人達に冷たい態度は取れません
少数与党になった以上、能登に関しても
補正予算を組まないと
9議席のれいわ新選組は、納得しないので
現地をしっかり見て来た山本太郎代表やくしぶち万里議員も、
「X(エックス)」で報告した内容を
現地を見たものとして
国会質問で、どんどん政府が
この1年間、やっていない事を追及すると思います

その上、自民党は総裁選
立憲は、代表選の時に、能登に入って
十分な予算を考えると言及しています

今更、何もしない訳いかないし
そんな事は野党も
一致団結して許さないと思います

なので、山本太郎代表が
必死で、訴えていた事は
ある程度は、報われると思います

はっきり言って、どの党も
野党さえ、印象的には
山本太郎、れいわ新選組の手柄になるとは思っていても
仕方ないと思うと思います

是非、山本太郎の渾身のレポートを見て欲しいと思います

「X(エックス)」、山本太郎

1月20日、石川県の輪島にお邪魔し、
介護施設を中心にお話を聞かせていただいた。

文章を読むことが苦手で私の被災地リポートが長い、
と感じる方のために最初に結論を短めに。

介護分野に限らず、
復旧・復興の作業に関わる人員の住環境が整備されていない。
これが復旧・復興が進まない最大のボトルネック。
あくまで例えば、公費解体がいち早く進んでいる輪島朝市の敷地を、
出店者への補償を行い、借り上げる。
仮設住宅建設やトレーラーハウスなどで作業員や介護士などの方々が
生活できる環境を整え、集中的に復旧・復興を進めるなど、
大胆な施策を行う必要があると考える。
能登は、未だ復旧・復興していない。
時間が経てば経つほど忘れられる。
能登を置き去りにすることは許されない。

まずは、輪島の市役所の担当課に
介護の全体的な状況を教えていただいた。

ザックリで結構です。
発災後から現在までの状況と現在の課題を教えていただけますか?

「そうですね。福祉施設の入所系の施設におきましては、
発災直後に来ていただいてご覧になったかと思うんですけれども、
門前地区のほうは建物被害がそれほど大きくなかったので、
そのまま入所、サービス続けてました。
輪島地区のほうは水道・電気も止まってたので、
皆さん一斉に二次避難、市外の施設に避難しました。

そのあと復旧し始め、
少しずつではありますが、サービスも再開してきた状況ですが、
職員さんなどで市外に転出された方もいらっしゃって、
元の定員までには全然戻せていません。

現在、市外に避難した方々の中で、こちらに戻りたい人の意向確認を、
県やDMATさんの協力で行っています。

一方、施設・建物の修理も終わってないところも多く、
職員さんも足らない、という状態で、
戻ってきたいっていう方に対しての受け皿はまだ整っていません。」

元々の施設の数と、今稼働できてる数はわかります?

「グループホームや特養など合わせて、16施設。
現在、受け入れできてるのが、8つ。

施設利用者は1月1日時点で645名ほどでしたけれども、
今、輪島で入所されてるのは205名。3分の1です。」

課題として今、どんなものがありますか?

「どの事業者さんも人材確保、
が課題っていうふうには言ってらっしゃいます。
あと、応援に来ていただく方々の住まいの確保も課題に。
いろんな全社協さんとか、協会さんのほうで応援職員の方は来ていただいてて、
その方はその施設の中に泊まったりしていただいてるんですけれども、
もし求人出して市外から来てくれたとしても、その方の住まい、
アパートが輪島市内にない状況なので、住まいの確保が課題だ、
と皆さんおっしゃられてます。」

--

市役所から移動し、
数人の市関係者にお話しを伺った。

「とどめをさされた感じがあります。
この地域は高齢者が多く、介護などのサービスが厳しくなっていた。
そこに地震が来て、施設が軒並み機能不全になった。

1月、2月には介護度の高い方々は輪島や能登にはいれなくなって
金沢以南に避難。

大きな施設が地震で被災、基礎から歪んでいたりすると、サービスを提供できない。
結構大掛かりに直さなくちゃいけないと、見積もりを立てていたところに、
この前の豪雨で、地盤というか、基礎の土が流れた施設も結構あります。

地震の見積もりに加えて水害の分まで追加になった。
それに充てるお金の目処が立たない、
そこが何とかなっても回収できる目処が立たない、と聞きます。

今でも施設の復旧がなかなか進まない、
復旧した施設でも働く人が戻ってこれない、という問題があります。
1年近く経っても、震災前のサービスが提供できていない。

施設を直すための資金の9割を補助する制度もありますが、
足元を見る業者もいて、値段が跳ね上がった、という話も聞きます。

ある特別養護老人ホームでは、
業者との間で、最初9千万円くらいで何とかなるとの話が、
9割を補助する制度が出てきてから、値段が2億数千万円まで跳ね上がった、と。

資機材も人材も集まらない。1つ1つのコストがすごくかかる、という理由だそうです。
本来の材料費の見積もりより、建築費の見積もりが何倍にもなっている、と。

作業員が滞在する場所も厳しいようです。
稼働できてる宿も少なく、
前は7、8千円くらいだったビジネスホテルでも1万8千円くらいになってる。」

介護の働き手はどうですか?

「市外から派遣で介護従事者を補填する制度もあるが、
来ていただいてもその方々が住む場所がない状態。
この前の水害もあって、仮設も一杯いっぱい。

全国から介護員さんや看護師さんが、
たくさん手を挙げてくださるが、
来てもらっても住むところがない、生活できない。

国や行政の色々な手当て、仕組みがあるが、
それが綺麗に繋がってないので、なかなか復旧できていない。

避難した高齢者の方々やその家族も、
能登にサービスがないので戻って生活することにならない、
って話は結構あります。」

地震前の介護サービスを確保しようと思うと、
どれくらいの人が必要になりますか?

「前まであった施設をそのまま戻すだけでも、
介護職員で最低でも100人くらい。
その他に、看護師さん。3対1なので30~40人は必要。

他にも給食さんや送迎のドライバーさんなど、
バックアップの方たちの職員も必要になってくるので、
全体で200~250人位必要になってくるかな。

現在は、施設のうち、一つは廃業。
他はやっているけど通常のサービスは提供できていない。
半分くらいの機能でやっている感じ。

施設がなかったら避難先から戻ってこれない。
自分の人生の最後をどうするか、さえ選べない。
金沢の施設に入るしかないと言ったら、
もう生まれ育ったところに戻れない。
そう思うと辛い。
だから事業者の方々は何とか踏ん張ろうと頑張って下さってる。
頭が下がります。」

ご自身の被災状況は?

「全壊です。家は更地になりました。
職場ではなかなか言えない話です。

半壊以上が6204軒あるそうで、
人が住む家の59.2%(約6割)
2人に1人は半壊以上です。全壊家屋も結構あります。

役場や社協の職員も、
自分が被災して大変だ、疲れたとかもう嫌だとか、
職場でなかなか言えません。
職員のほとんどが被災してますから。

当初は、仕事場に避難所からだけでなく、
車中泊しながら仕事に出てきていただく方々も結構いました。
それからずっとですから。
正直、かなり疲弊してます。
でもみんな大変なんで。

9月の豪雨のときも被災した職員がいて、
仕事して、夜帰って泥出しして清掃して、みたいな感じ。
日中は被災された方のお話しを聞いて、
仕事が終わったら被災してる自分のことをやる、と言う繰り返し。

市の職員もそうだけど、
介護の職員の方はもっと大変かな。夜勤もあるから。

市の職員もだいぶ退職して、
これからも退職は増えてくると聞いてる。」

結構な数ですか、辞められた方って?

「数は今、はっきりとわからないが、
保育士、看護職も含めると、行政だけでなくて、結構な数って聞いてます。」

--

次に時間の許す限り、事業所を訪れた。

「先日の豪雨で裏の山が崩れ、
土砂と流木が大量に施設の裏側に流れてきて、危険地域となった。
次に豪雨などがあった場合に備えて、
行政が土砂・流木対策を行うまでは、
ここでの事業(高齢者の入所施設)は見通しがつかない。
対策が終了するのは来年5月ころ。」

利用者さんの数は?

「基本18人。9人の2ユニットで。
地震後から下水は流せていません。

地震で職員の40%が辞めて、
さらにこの水害で休職した人もいる。
人材の確保がすごく難しい状態。

求人も出して、来てくれた人もいる。
住むところがないから、施設の裏側に住んでくれとったけど、
豪雨で住めなくなった。

現在は別の施設の使用していない場所を間借りして、
事業を継続している。
今後の見通しもなかなかつかない。

正直、廃業した方がいいのかな、とも考えてしまう。
なんかもうドツボです。」

--

次に、大きな規模の事業所を訪れた。

ここは地震の前に、どんなサービス提供されていたんですか?

「一番大きいのは入居者100名の特別養護老人ホーム。
あと、定員20名の短期のショートステイと定員25名のデイサービス。」

災害があって、どれぐらいに減りましたか?

「今、特別養護老人ホームのほうは、7月22日から再開、現在41名です。
デイサービスは、今10名弱というところですかね。
ショートは今完全に使っていないので、
豪雨で土砂災害にあった事業者さんがそこを間借りする形で
事業を継続しています。」

地震や豪雨で施設は無事だったんですか?

「建物がいろいろと壊れています、浄化槽も使えません。
トイレは小のほうはなんとか流せるようにしたんですけど、大は無理です。
利用者さんにはラップポン、我々は普通にビニールに入れてしてます。」

職員は元々どれぐらいいましたか?

「臨時も入れて115名くらい、
それが今は60名強ですかね。」

利用者さんが減ると、経済的に厳しくなりますか?

「はい。2次避難などがあり、4月から7月まで売上がなかった。
その上で、いつでも再開できるように従業員を押さえおかなければいけないので、給料は払い続けなければなりません。」

雇用調整助成金は使えましたか?

「使いました。助かりました。」

でも、給与の6割を事業者が支払ってそのうちの8割しか出ない、
とかですよね?

「何もないより助かりました。
方針として、従業員にも生活があるから、
6割の支払ではなく、血を吐いてでも満額支払おうと決めていたので大変でした。」

4月~7月売上なしだったのに?

「そうなんです。
ざっくりと収入では、1億ぐらいマイナスですね。」

下水が流せないことで何が不便ですか?

「色々ありますが、調理ができない。
元々はここで作ってました。
今は利用者の食事は、
外注で大手に発注してます、宅食ってやつです。」

施設内で作るのと、外注するのではコスト全然違いますか?
倍ぐらいになりますか?

「ザックリとそれくらいですね。
おいしくなってるので評判はいいんですけれども。
どうしてもコスト面では、かかりますよね。
我々は、配食サービスもしていました。
周辺は山で、独居老人も多いもんですから。
大体20食くらい、昼・夜と配達していました。
なかなか状況はよろしくないです。
いったん事業を止めて、
1月12日には特養の入居者さん全員で避難して、
そこからまた事業再開ですので、
やればやるほど赤字という、そんな状況です。

1月中は、ほぼほぼ休業で、
2月ぐらいから地域の方のためにデイサービスを動かした。
NPOの方々のお力をお借りして入浴支援をやり始めましたが、
実際やっても利用者さん1人とか、2人とかっていう状態でしたね。
ホームの方は7月22日から事業を再開しました。
利用者はやっと41人で発災前の半数にもいっていない状況です。

収入はゼロですからね。
いったん止めた事業を再開するというのは結構大変。
新規で施設を始める、ゼロからスタートであれば、
まだ希望みたいなのがあるでしょうけど、全員避難したあとに
「事業を再開する」と言ったら、建物はいつ直るのか、利用者さんは帰ってくるのか、ちゃんと軌道に乗るのか、とか職員も不安が大きいですよね。
「将来が見通せない、不安だ」「より安定した仕事に就きたい」ということで、
半数以上の者が退職したという状況です。

私たちの仕事は、入居者の方をお世話して、それで収入を得るという仕事なんで、
職員が40人いても、入居者が10人まででしたら、やっぱりお給料も払えないというような状況が続きます。
 
幸いなんとか繰り越しの費用があったので、それを食いつぶして、
なんとか事業は継続してますが、今でも赤字の状態。

けれども、地域の方々の要望もありますし、
やっぱりどうしても必要な仕事なんです。
こういった施設がなくなれば、
高齢者の世話が家でできないと言う方々はこの地域を離れるしかありません。
職員の生活が守られなければ、更にこの地域から人が離れます。
とにかく地震が起きた時から、全員避難した時から、
もう事業を再開するというのが私どもの最大のミッション、
使命みたいなかたちでやってきたということです。」

このままいったら、
資金がショートしちゃう、みたいな瞬間ありましたか?

「はい。ありましたね。
正直に申し上げて目先のことだけ考えますと、
事業はやめたほうがいいだろうという話になります。
しかし地域の状況を考えると、高齢化率の高いところですので、
うちらが事業を停止すれば、この地域の高齢者の方が利用する施設がなくなって、
他の地域の施設を利用することになって、
せっかく能登に生まれたのに、なぜか知らないけど金沢の施設に入所しなきゃいけないというようなことは、ちょっとあまりにもかわいそうな話ですので。
 私どもも40年近く、この地域に根ざした仕事をさせてもらっていますので、少しでも地域に貢献できるようにということで、本当に半ば強引にやり始めたというような、それが実情ですかね。
厳しい。いろいろと経済面では本当に厳しい状況です。本当に。」

政府に1つ要求できるなら、何を言いますか?

「そうですね。
地域のために必要な事業に関しては、
建物を修繕する時の費用とか、運営費用に対する助成みたいなものもあれば、
大変ありがたいなというふうには思うんですけれども。

グループホームの事業を続けたいけど、
土砂災害の状況で続けられないということで、
たまたまうちは部屋が空いていましたので、
そこの利用者さんを全員こちらのほうに避難していただいて、
職員の方も来ていただいて、10月1日から事業を続けてもらっている。

その施設がなくなれば地域の損失になりますので、
お互い災害の被害を受けた者、弱った者同士ですけれども、
なんとか力を合わせて乗り越えようと受け入れをしました。
ただ受け入れした分だけ、電気代など色々と私たちの費用負担も上がります。
事業所の方には、「どれだけ負担できるのか」と話し合いしてるんですが、
向こうも既存の建物はまだ残っていますし、そこの維持管理の費用もかかるし、
なおかつ、ここの費用負担もかかるので、二重負担となります。
ただ、私どもも弱っている状態なんで一定の負担を頂かないと厳しくて。
お互い弱った者同士で助け合って何とかやってますが、
それがいつまで続くのかということ。」

地域を崩壊させないよう踏ん張る事業者を国が支えて欲しいってことですね?

「はい。」

他に言いたいことあれば

「雪がどこまで降るかっていう、のは心配してます。」

雪が影響しますか?

「はい。やっぱりすべてのことで。
例えばデイサービスにしても、送迎で外へ出ます。
ホームヘルパーやケアマネージャーの訪問、職員の通勤にも関係します。
これだけ道が悪かったら、除雪もたぶん追いつかない。
厳しいでしょうね。
あと電気が止まると思うんです。
山の地盤も弱ってるでしょうから、雪の重みで電信柱が倒れたり、
倒木で道路が塞がれたり。倒木で一日通行止めとかありますから。
本当に寒波が来ないでくれ、と今から祈ってます。」

--

今年3月、予算委員会で岸田前総理に対して求めたこと
https://taro-yamamoto.jp/national-diet/14418
が前に進んでいれば、現在の介護事業者の苦しみの一部を軽減できたはずだ、
と思うと自分の力のなさに腹が立つ。

再三、コミュニティを守る、
と言い続けてきた自民党政権であったが、
これまで投入されてきた予算や施策では、
雪が降るまでに何とかできるものではなかったようだ。

今からでも、国内の多くのリソースを能登に投入して、
復旧・復興を急がなくてはならない。
さらなる支援の拡充を国会でも求めていく。

◎ 毎年の済度
令和5年11月25日の済度
昨日の立花孝志さんを裏切ったのか、二重スパイだったのかは分かりませんが、さいとう忠行さんの説明動画みました。これは、大津綾香に会う前のさいとう忠行さんの心情を理解して見るべきです

令和4年11月25日の済度
ワールドカップカタール 日本対ドイツ、2対1で日本の勝利 やりましたね。世紀の大金星、アジアの反乱などアジア勢が強くなったと言う事で世界的に大騒ぎになっています

令和3年11月25日の済度
母親のいる介護施設、面会禁止が、12月に緩和される条件が、ワクチン2回接種ておかしくないですか。ワクチン打ったからと言って、感染するのは変わらないのに。日本も嫌な国になりましたね

令和2年11月25日の済度
今日は、会社の健康診断でした。正直言って、IT革命の平成から30年ぐらいずっと
時代が、もうすぐ大きく変わると言い続けていた俺としては、やっと、それが、目の前、ここで死にたくないです

2019年11月25日の済度
11月24日は、山本太郎さんの誕生日です。45歳になったそうです。それは、今日は何の日メルマガにも、ちゃんと掲載されていました。歴史も評価していると思います

2018年11月25日の済度
2018年11月25日の済度
今日、おしどりマコさんの最新の動画見ていました。原発事故問題の話、ものすごく進化しています。今の時代にも、志士いますよ。そう言って一緒に有縁霊と聞いていました

2017年11月25日の済度
霊言「アルフレッド・ノーベル」私は悪魔のためにダイナマイトを作った。。平和なんていう言葉は、この場所(霊界)にも全然ない。たくさんの人々がこなごなになっている。そんな霊界を平和にします。
2016年11月25日の済度
日本は、日の本、霊(ひ)の本です。その日本は地震の多発、異常気象、少なくてもよくなっていないと思います。本来の日本にする為にもがんばりたいと思います

2015年11月25日の済度
今日は、特定の事を、絞らずに、全体を済度したいと思います

2014年11月25日の済度
三島由紀夫さんが割腹自殺した日 三島由紀夫さんは、作家、右翼よりも、精神世界の超人です。日本の未来が見えすぎていた三島由紀夫さんの有縁霊、日本を憂いている有縁霊に、晢通力を届けたいと思います

2013年11月25日の済度
日本の将来を憂いて割腹自殺した三島由紀夫さんは、今も日本を心配しています。最高のエネルギー、誓通力を届けます
☆「見た、願った、有縁霊一体で済度した
恋愛・映画、ドラマコーナー」☆
2024年 御史(オサ)とジョイ
2023年 転生したらスライムだった件 シーズン1
2022年
2021年 劇場版シティーハンター <新宿プライベート・アイズ> 
2020年
主演

内容

感想

△キク(菊、聞く、効く、利く)の今日の志願
縁の花、自宅済度
1、那由他桁の御霊達と一体で、今日は何の日のブログ更新します
2、那由他桁の御霊達と一体で、縁の花を書いていきます
※、昨日も、志願を順調に済度させて頂きました
感謝です

○キク(菊、聞く、利く)の選んだ「記念日」○
●女性に対する暴力廃絶のための国際デー(International Day for the
Elimination of Violence against Women)
1999(平成11)年12月17日の国連総会で制定。国際デーの一つ。
1961(昭和36)年この日、ドミニカ共和国の政治活動家であったミラバル
3姉妹が、ドミニカの支配者ラファエル・トルヒジョの命令により惨殺
された。

▽独立記念日 [スリナム]
1975年のこの日、南米のスリナムがオランダから独立した。

※憂国忌
小説家・三島由紀夫[みしまゆきお]の忌日。
1970(昭和45)年のこの日、三島由紀夫が、自ら主催する「楯の会」のメ
ンバー4人と共に東京・市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部で総監を人
質にとって本館前に自衛官1000人を集合させ、自衛隊の決起を訴える演
説を10分間行った。その後総監室で楯の会会員の森田必勝とともに割腹
自殺した。
監督・主演した映画『憂国』に因み、毎年「憂国忌」が営まれている。

●「晢カレンダー」2013年 日めくり
25日 絶対愛の時代に生きる。
それが本当の誓神文明です
4/25 ●●●●

キク(菊、聞く、効く、利く)の選んだ歴史的事件
8年 王莽が新を建国。前漢が滅亡
1120年 イングランド王子ウィリアムほか多数の王族・貴族が乗る船「ホワ
イトシップ」がイギリス海峡で沈没
1253年 鎌倉幕府執権・北條時頼が建長寺を建立し落慶法要
1557年 毛利元就が毛利隆元・吉川元春・小早川隆景に14箇条の遺訓を記す。
後に「三本の矢」の話として伝えられる
1867年 アルフレッド・ノーベルがダイナマイトの特許を取得
1876年 福澤諭吉の『学問のすゝめ』最終刊・第17篇が刊行
1892年 パリ・ソルボンヌ大学での講演でクーベルタン男爵がオリンピック
の復活を提唱
1920年 呉海軍工廠で戦艦「長門」竣工。初の16インチ砲を搭載
1921年 大正天皇の脳の病により、皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)が摂政に
就任
1936年 ベルリンで国際共産主義防止の為の「日独防共協定」に調印
1960年 ドミニカ共和国で反独裁政権運動家のミラバル姉妹が殺害される
1970年 三島事件。作家・三島由紀夫らが自衛隊市ヶ谷駐屯地でクーデター
を呼びかけるが失敗し割腹自殺
1975年 南米北東部のオランダ領ギアナが独立してスリナムに
1986年 三菱銀行有楽町支店で3億3千万円強奪。現金輸送車強奪の史上最高額
2009年 アラブ首長国連邦の政府系会社の債務返済繰り延べ要請が発表され
る。これを発端として、世界的に株式相場が急落(ドバイショック)

■ 誕生花 ■
リュースコチナス Smoke-tree
花言葉:賢明

ネリネ Nerine
花言葉:若返り

パボニア(矢の根梵天花[やのねぼんてんか]) Pavonia
花言葉:慎重
キク(菊、聞く、効く、利く)の選んだ○お誕生日
1593年<417歳> 前田利常(大名, 加賀藩主(2代))[1658年歿]
1835年<175歳> アンドリュー・カーネギー(米:実業家「鉄鋼王」)[1919年歿]
Andrew Carnegie
キク(菊、聞く、効く、利く)の選んだ■忌日 ■
1970年[40年前] 三島由紀夫(小説家, 劇作家『金閣寺』『憂国』)<45歳>
自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入し割腹自殺

キク(菊、聞く、効く、利く)が係わった縁

参考文献
「今日は何の日のメルマガ」
http://day.dictionarys.jp/modules/daily/

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
キク(菊、聞く、効く、利く)のメール番号
otabaxplat@gmail.com

今がますますつくには・・・
http://ennohana.seesaa.net/

縁の花サイト
http://ennohana.sakura.ne.jp/

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