【記者日記】トランスジェンダーへの取材を通して思ったこと
かわすみかずみ
以前、トランスジェンダーの方の取材をしたことがある。その方は平日は肉体労働で男性として働き、休日は女性装でミュージシャンとして活動するトランス女性だった。
2度ほど、その方の行きつけの飲み屋に同行し、そこで話を聞いた。私は率直に「自分の性自認はどちらだと感じていますか?」と聞いた。その方は「どちらとも思っていない」と答えた。そのとき、私は自分の固定観念をハンマーで叩かれたように思った。
私の中で、性自認は「男」「女」の2つしかなかった。だが、その方は「どちらでもない」という。その感覚を、私は理解できずにいた。その方は、その言葉をタバコの煙とともに吐き出したあと、じっと遠くをみるように考えていた。
しかし、よく考えてみると、私の中にも揺らぎはある。私が初めて好きになった人は女性だった。そして、私には「男性に生まれたかった」という潜在的な願望がある。それでも私は自分を異性愛者と認識し、男性を性的対象とする女性である。私もまた、その揺らぎの中で葛藤し、忘れようとして、また揺り動かされて行きてきた。
私は52歳で、トランスジェンダーという言葉さえ知らずに育った。どちらかといえば、トランスジェンダーを公に差別し、いなかった、見えなかった存在として捉えてきた社会の中で育った。それは大変悲しいことだ。子供の頃に、好むと好まざるとに関わらず刷り込まれたジェンダー意識をひっくり返していくには相当の学びと覚悟が必要で、そのことに苦しむ毎日だ。この記事をお読みいただいている皆さんは、多様な年代、多様な育ちをされているかもしれない。私のような世代の方もいるかも知れないし、海外で多様な性自認の方と語った人達もいるだろう。
同性婚を認めない国、選択的夫婦別姓を認めない国。トランスジェンダーを差別し、見えない存在にする国。これがなにを意味するか、私たちは考えていかねばならない。弱者がどのように扱われるかで、その国の民度が分かるからだ。