【記者日記】落語·代書オリジナル版を初鑑賞
かわすみかずみ
今日は、知り合いの方から情報をいただき、落語の「代書」のオリジナル版をオチまで全て鑑賞しました。
この企画は、大阪コリアタウン歴史資料館が主催で、フィールドワークと落語鑑賞のセットで行われたものでした。フィールドワークには参加できなかったのですが、落語の鑑賞は絶対に行こうと決めていました。
司会はパンソリ歌手の安聖民さん。キリッとしたハリのある声が印象的でした。約200席ある東成区民センターの一室は満員で立ち見も出るほどでした。
第一部は大阪公立大学社会学部教授の伊地知紀子さんの講演でした。
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1960年代の写真に写った「代書」の看板には、ハングルで「テソ」と書かれていました。日本語が書けない、読めない在日の方々の代書を行っていた代書屋も、次第に姿を消していきました。
1923年、済州島と大阪を結ぶ君が代丸の就航が始まり、大阪にやってくる済州島の人々は増えていきました。済州島や朝鮮は1912年から日韓併合により、朝鮮人の仕事や土地を奪い、日本政府が取り上げていったことも大きな要因でした。
日本で暮らす朝鮮人は、渡航証明など行政文章を書くことができず、苦労しました。代書屋はそういう時代に作られた落語でした。
この「代書屋」のネタを作ったのは4代目桂米團治で、米團治は当時、現在の東成区民センターの一画で代書屋をしながら落語家をしていました。代書屋にくる様々な客をモデルに作った代書屋は、当初、在日朝鮮人の客が訪れるシーンが入っていました。しかし、徐々に在日朝鮮人のシーンは削られていき、いまの代書屋には、描かれなくなっています。
このオリジナル版が上演されるのは10年ぶりとのこと。素晴らしい機会に恵まれたと感じました。
今回は、4代目桂米團治が作ったオリジナル版をオチまで全て桂文我が演じました。
桂文我は18歳で桂枝雀に弟子入り。2年間の内弟子修行を経て、落語の道を邁進しました。枝雀の代表作とも言われる代書屋を演じることに誇りやプレッシャーもあっただろうと思います。枝雀の代書屋は、代書を頼みに来る客のオーバーアクションと代書屋の地味さのコントラストが特徴的でした。
文我は師匠の枝雀の要素も入れながら、当時の風情を漂わせる品のある演じ方だったように感じます。
現在の代書屋は途中で終わっているようですが、最後のオチは秀逸でした。それまでの代書を頼みに来る客との対比が生きるオチでした。作品としての面白さ、底辺を生きる人々の姿など、考えさせられる代書屋でした。