[ナマリエ] Happily ever after:10話

 ナマリエは信じられない様子で、目の前の光景を見下ろした。
 彼女が起こした風で海岸の霧が晴れた。何日たっても起こせなかった突風を起こしたのだ。
 ナマリエは上気した顔で、どうしたら良いのか分からなくなっていた。

「やったわ、フィルモ!」
『やり遂げると思いました! 本当に凄いです、ナマリエさん!』

 二人は抱き合って喜びを分かち合った。
 こんな達成感は初めてだ。興奮で頭の中が爆発しそうだった。

 しかし、喜ぶ時間はあまり長くなかった。先程よりも濃い霧が立ち込めてきたのだ。
 ナマリエは少し戸惑いながら下を向いた。
 一体なぜここにいるのかは分からないが、あの格好は明らかにルディだ。
 ルディがこちらに向かって叫んだ。

「すぐにそこから降りてこい!」
「何よ? なんであんた──」

 ナマリエとフィルモは後ろを振り向くと、驚いて一緒に大声を上げた。
 すぐ後ろに亡霊がいたからだ。
 反射的に避けようとしたが逃げ場がなかった。目の前は崖だった。

 その時、下から飛んできた銃弾が亡霊たちを一気に貫通する。亡霊は粉々に砕け散った。
 ナマリエは震える心臓をかろうじて落ち着かせ、再び崖の下を見下ろした。ルディが手招きしていた。
 冷や汗をぬぐい周囲を見渡すと、下へと降りる道が見えた。

 ナマリエは素早く飛び降りてルディに合流した。
 幸いなことに、霧が完全に立ち込める前だった。

「どうしてあんたがここにいるのよ?」
「嬉しい気持ちは分かるけど、今はのんびりと挨拶するタイミングではないのさ、お嬢さん」

 ルディがあごを振って前を指差した。
 亡霊たちが押し寄せていた。前だけでなく先程の崖からも降りて来る。
 ナマリエは驚いて言った。

「こ、これは何なのよ?」
「主人を守るために集まって来ているんだ。さっきお前さんが吹き飛ばしたのは、この島の主人だ」
「あたしじゃなくてあんたが吹き飛ばしたんでしょ! 私は風を起こしただけよ!」
「そうか?」

 ルディが老練に銃を構え、目の前の亡霊たちを処理し始めた。
 引き金一つで亡霊が飛び散っていく。
 どうしてあんなにも速いのか、この目で見ても信じられないほどだ。
 ナマリエも銃を構えたが、照準を合わせようしている彼女に向かって、ルディが呆れたように叫んだ。

「照準を合わせるな、ただ方向を合わせて撃てばいい!」
「え?」

 戸惑ったが、すぐに言われたとおりにした。
 敵の数が多いので手当たり次第に撃ちまくったが、必ず一つは当たっていた。
 フィルモの誘導弾を使うわけでもないのに。

 ナマリエとルディは互いに背中を向けて、押し寄せる亡霊たちから距離を取った。
 しかし、再び霧が押し寄せてきた。
 周囲が見えなくなり、慌てふためくナマリエを置いてルディが片膝をついた。

 低い射撃姿勢をとり、彼女の銃から突風が吹き上がった。
 海岸に沿って一直線に視界が開けた。周囲にいた亡霊たちも風に耐えられず押し流された。
 ルディは呆然としているナマリエに手を差し伸べた。

「海岸沿いに走れ、早く!」

 ルディが先頭に立った。ナマリエもその後を追うように走った。
 片側に海岸を挟んで走ると、少なくともそちらからは亡霊が寄ってこない。
 ルディは走る合間にも突風射撃で亡霊を追い払い、距離を広げた。

 走るだけで息が上がっていたナマリエは、その光景を見ても信じられないと目を疑った。
 これが実戦で経験を積んだ傭兵の実力なのだろうか? 

 ルディはとある崖に差し掛かったところで、ようやく走るのを止めた。
 崖は膝の高さくらいまで海水に浸かっている。
 崖に沿って移動すると、内側に洞窟が見えた。
 洞窟は水深が深そうだったが、両側に歩いて回れるような道があり、そこに小さな船が一隻停泊していた。

 ルディは洞窟に入るや否や、腰をかがめて息を荒くした。
 走りすぎて喉が裂けそうな気分を感じていたナマリエは、ルディも当然そうだろうと思いあまり気にしなかった。

 しかし、じっと見ていると、何かがおかしい。
 床に座り込んだルディがなかなか起き上がらないのだ。
 ナマリエは慌てた顔で彼女に近づいた。

「どこか怪我でもしたの?」
「違うさ」

 ルディは否定するように手を振った。彼女は船を指差して言った。

「あれに乗りな」

 ナマリエは言われるがままに船に乗り込んだ。
 彼女が乗ってきた船より少し小さいが、頑丈そうな船だった。

「これに乗ってここへ来たの?」
「そうだよ。とあるお嬢さんが何の恐れもなく船に乗り込んだと聞いてね」

 ルディはやっとの思いで起き上がり,船を縛っていたロープをほどき始めた。
 ナマリエがたじろぎながら問いかける。

「あたしのために来たの? あたしがここにいると思って?」
「感激することではないさ。元々、子供が起こした事故は大人が解決するものだからね」

 淡々と言ったルディは、荷物袋から二本の瓶を取り出した。
 少し大きめの瓶と、何かの液体が入った小さな瓶だ。
 彼女はそれらをナマリエに渡した。

「二つを混ぜると紫色の煙が出る。海に出た後、この島の霧が晴れたら使うんだ。救助船が探しに来るよ」
「あたし、あたしだけなの? あんたは?」
「私は残ってあの魔女を終わらせなければならない」

 ルディは島の方を振り返った。今まで一度も見たことのない表情だった。
 ナマリエには理解できなかった。

「なら一緒に終わらせて、あたしと帰ればいいじゃない。なんであたしだけ先に行くのよ?」
「一人で戦ったほうがいい。隣に誰かがいると邪魔になるだけだ」

 ルディの視線は一瞬、ナマリエに向けられたが、再び島の方に逸れた。
 ロープをほどいた彼女は無言のまま船を海に向かって押し流そうとした。
 その沈黙はどこか不気味だ。
 不吉な予感は外れない。ナマリエは本能的に船から降りた。

「ダメよ、一緒に行くわ」

 結局、船を押していたルディが再び腰をかがめて息を荒くした。
 彼女はあからさまに困った表情を浮かべた。

「この海域は全てローレライの縄張りだ。船を浮かべても、結局はここへ戻ることになる。ローレライを殺すか、せめて死ぬ寸前まで追い詰めないと抜け出せない」
「ローレライって誰よ?」
「さっきお前が撃った人。この島の主人さ」
「あれが人だっていうの?」

 しばらく立ち止まったルディは聞き返した。

「……何に見えた?」
「黒くてベタベタして……とにかく人には見えなかったんだけど」
「……もしかして幻覚を破ってきたのか? どうやって?」

 ナマリエは一拍遅れて答えた。

「母を撃ったの」

 ルディは言葉を失った表情でナマリエを見つめた。
 ナマリエはどんな顔をすればいいのか分からなくて、ただ突っ立っていた。

 やるべきことをやるべき瞬間にやっただけだ。
 どうせそれが幻覚に過ぎないことも分かっていた。

 静かにしていたルディがナマリエに近づいてきた。
 彼女は片腕でナマリエを抱きしめた。
 ナマリエには、ルディが何故こんなことをするのか理解できなかった。

「よく頑張ったね」

 ナマリエは目を瞬かせた。鼻先から潮風の匂いがした。

「生きていてよかった。お前さんを誇らしく思うよ」

 何であんたがあたしを誇らしく思うのよ。
 そう思ったが口からは出てこなかった。
 何故かその瞬間に悲しみがこみ上げてくる。

 ナマリエは何も言わずに肩を揺らした。
 そんな彼女の背中をルディが静かに慰めた。

「でも、一緒に行くのはダメだ。これは私の戦いだ」

 取り付く島もなくあっという間に連れて行かれた。
 ルディはナマリエの腕を引っ張り、無理やり船に乗せようとした。
 彼女は慌てふためきながら抵抗する。

「そんなのないわ! 嫌よ!」
「嫌だとか言ってる場合じゃない。生き残れる可能性が出来たことをありがたく思え」
「一緒に戦えば、あたし達と暮らせるかもしれないじゃない!」

 ナマリエが叫んだ。
 ルディは冷静に切り出した。

「実戦経験のない子供に何を期待しなければならない? 私がいなかったら、お前は亡霊に引き裂かれて死んでたよ」
「それなら、あんたもあたしがいなかったら、さっきの狂った女に食べられてたわよ」

 ナマリエが負けじと反論した。ルディは疲れた声で言った。

「これが何かの英雄譚だと思ってるのか? 賭けるべき命が一つから二つになったからといって、奇跡が起こるわけじゃないんだよ」
「じゃあ、あんたはどうしてここまで来たの?」

 ナマリエは掴まれた腕を振り払うとルディを乱暴に突き飛ばした。
 彼女は悔しそうな表情でルディを睨みつけた。

「あたしがここにいるとどうやって知って辿り着いたの? どうやって亡霊しかいない島であたしが生きていると確信したの? あんたが生きているのは当然のことで、あたしが生きていられたのは奇跡みたいなものだと言いたいの?」
「……」
「自分も奇跡を望んだくせに、急に現実主義者のフリをしないでよ。卑怯よ」

 ナマリエが言い放った。
 ルディはそんな彼女を無言で見つめていた。
 何とも説明できないほど複雑な表情だった。

「いくら頑張ったところで結局何も変わらないこともある。それでもお前は命を賭けるのか? 確実に生き残れる方法があるだろ?」
「みんな、いつかは死ぬと分かっていながら生きてるじゃない。たとえ明日には滅びる世界を今日守ったとしても、それが無意味になるわけじゃない。あたしは生きるわ」

 ナマリエはそう言い放ち、ルディの前を通り過ぎた。
 洞窟の外はまだ霧がかかっていて先は何も見えない。
 背後からルディの声が聞こえた。

「……はぁ、やれるだけやるかねえ」

 ナマリエが振り返った。
 ルディは帽子を深くかぶり肩をすくめた。
 どこか諦めた様子だった。

「手を貸せるところまでは助けてやれるがの、万が一、邪魔になりそうなら捨てるさねえ。『儂』も生きなきゃならんしの」
「嫌々ね……」
「送り出してやると言ったのに断ったのはお前さんだろう? 自分の手で見送った船だぞい?」

 ルディが何気なく言った。
 ナマリエは一瞬彼女をちらりと見た後、再び霧の方に視線を向けた。
 ルディが背後に近づくとナマリエは尋ねた。

「霧さえなくなれば、この島から出られるの?」
「一番確実なのは、ローレライが姿を現した時に対処することだねえ」
「フィルモ」

 フィルモが姿を現した。
 ルディは眉をひそめて彼をちらっと見た。
 先ほどの揉め事を全て見ていたのか、フィルモはナマリエとルディの間で途方に暮れた顔をした。
 彼女は気にせず尋ねた。

「霧を無くす方法を知らないかしら?」
『自然学は僕の分野ではないので……でも、霧は太陽が昇ると消えるという話を聞いたことがあるような気がするのですが。うーん、水分だから熱に弱いのではないでしょうか?』

 ナマリエは目を見開いてルディを見つめた。
 彼女が何を言おうとしているのか、あらかじめ察していたルディはきっぱりと言った。

「ダメだよ」
「なんでよ?」
「お前さんの友達が言ってるじゃあないか、水分だって。濡れた木に火をつけたことあるかえ? 一本の木に火をつける間に、亡霊が何百体と集まってくる。ローレライも黙ってはいないさねえ」

 ナマリエはしばらく口を尖らせた。
 フィルモは地面を見つめながら考えに耽っていた。
 ルディは洞窟の壁に片手をついて、霧の中を眺めていた。

 その時、ナマリエが何かを思い出したように手を叩いた。
 彼女はフィルモの肩を掴みながら尋ねた。

「あたし達が森から出てきた時、変な匂いがしたわよね?」
『あ、はい。そうです。それで道を戻ると波の音が聞こえました』
「いきなり何を言ってるのさ?」

 ルディが眉をひそめて尋ねた。ナマリエはそんな彼女を見つめながら話した。

「ただの濡れた木じゃないわ。森の中にハルクベインの木があるのよ」
「……ハルクベイン?」

 ルディは眉を寄せる。
 あまりに長い間記憶の中に埋もれていた単語なので、それが何だったのか思い出すのに少し時間がかかった。

 ハルクベイン。枯れた木に根を下ろして養分とする一種の寄生木だ。
 大きくなると根を通じて周囲の木々まで食べてしまうため、ハルクベインが一本あると周囲には何本もの枯れ木が現れる。

 木そのものから出る気体からは、ピリッとした独特の匂いがする。
 珍しいが、一本の木が森を滅ぼすこともあるので、見つけたら必ず伐採しなければならなかった。

「お前さんはハルクベインを知っているのかえ?」
「ラグナデアに来るまでエルフの村に住んでたのよ。村のエルフ達がうんざりするほど小言を言ってたから知ってるの。村の近くの森にハルクベインを伐採した根元があって、その近くでは火遊びをするなと言われてたのよ」
「……火遊びなんてしてたのかえ、お前さん。森が危険になるじゃあないか」
「あの人たちみたいなこと言わないでよ。とにかく、そこなら火種を投げるだけですぐに燃え盛るはずよ」

 ハルクベインは伐採した根元からでさえ、少なくとも三年は燃えやすい性質の気体を作り出す。
 簡単に山火事を起こして周囲の木を燃やすためだ。

 ハルクベイン自体は火に強いので、山火事が過ぎ去った場所でも生き残った。
 いろいろと厄介なので、森の番人たちはハルクベインを発見しただけで三年は縁起が悪いと言っていた。
 ルディは半信半疑で尋ねた。

「直接確認したわけじゃなくて、匂いを嗅いだだけなのかえ?」
「近くに枝があったから、焚き火のために樹皮を剥いてみたから確かよ。ハルクベインは森のある場所にしか育たないんだから」

 ルディは森のある方向を見た。
 霧のせいで何も見えなかったが、樹皮の色が白いことだけは覚えていた。

「白樺の森じゃなかったのかえ?」
「見た目はよく分からないけど、ハルクベインは樹皮に水分が多い代わりに……」
「……中には脂っこさがある。樹皮を削って練炭の代わりに使う時があるねえ」
「そうよ。だから木を折ってしまえば、すぐ燃えてしまうわ!」

 ルディは不思議そうな顔でナマリエを見つめた。
 彼女は、打ち立てたばかりの計画が既に成功したかのように上気した顔だった。
 その時、じっと話を聞いていたフィルモが首を傾げながら尋ねた。

『ところでナマリエさん。道を覚えていますか?』
「……え?」
『周りが霧だらけで、僕は迷いながら出てきた記憶しかなくて……』

 ナマリエはすっかり当惑した。
 彼女はルディの方を向いて言った。

「あの森はどれくらい広いの?」
「大きくはないが、小さくもない。横切るのに四時間はかかるねえ」

 ナマリエは両手で頭を押さえた。

「霧の中であの森をくまなく探すことは出来ないわ……どちらの方角から来たのかも分からないのに!」

 いったん霧を晴らさないと、森の中に何があるのか見当がつかない。
 結局、ふりだしに戻るしかないのだ。
 だからといってただ森を歩き回るには、押し寄せる亡霊の数が多すぎる。
 その時、ルディが口を開いた。

「払ってやるさ」
「え?」
「島の霧を取り払ってやると言ってるのさ。それなら見つけられるかえ?」

 そう言うと、ルディは背中に担いでいた銃を下ろし、地面に立てた。
 ナマリエは呆れた目で彼女を見つめた。

「そんなことが出来たら……」
「長くは続かないさね。ローレライが扱うのも結局は気流なのさ。風だけで立ち向かおうとすれば力と力の正面対決になる。儂の力が尽きる前にお前さんの計画が成功すれば二人とも生き残れるし、失敗すれば二人とも死ぬねえ」

 それでもやるかえ? 
 まるでそう問いかけているかのようだった。ナマリエはルディと彼女の銃を見つめた。
 様々な考えが頭をよぎるが、それでも頷いた。

「よし、どうせローレライは儂を狙うだろうし、儂もできる限り亡霊を誘い出すけど、離れ離れになってしまったら儂はお前さんを守れない。自分の力で生き延びるのさ。自助努力、分かるよねえ?」
「……分かったわ」
「霧が晴れたらその時に動くのさ。儂がここまで来たことが無駄にならないことを祈るよ」

 ルディはそう言って洞窟の外へ出て行った。
 ナマリエは霧の中に消えていく彼女の後ろ姿を見送った。
 胸が震え、不安な気持ちになる。

 ルドミラは海岸沿いの低い崖の上に落ち着いた。
 亡霊たちが散らばっているのか、まだ近づいてくる奴はいなかった。
 霧の気配が強すぎて風もよく感じられない。

 彼女は荷物袋から小指ほどの薬瓶を三つ取り出し、腕へ順番に投与した。
 こうするために与えられた薬ではないだろうが、今の状態では魔力感度を上げるのは難しいので仕方がない。
 ルドミラは地面に立てられた銃を見つめた。

「寝たふりをしないで起きるのさ」

 静まり返った銃身からかすかな光が出た。
 ルドミラは銃を手に取り、半歩後ろに下がった。

 弱い風が吹いた。
 気が進まないのに呼ばれたから仕方なく出てくるという態度だった。

 やがて人の姿が現れた。
 今にも散りそうな風が銀色の髪をなびかせ、目尻を垂らした。

『久しぶりだね? 顔も忘れるところだったよ』
「誰かが暴れたいと主張するものでねえ、どうしても呼ばないわけにはいかないのさ」

 ルドミラがため息をついた。風が微笑んだ。

『最後の戦いになるかもしれないけれど、本当に私を選んでもいいのかしら?』
「厚かましいのは相変わらずだねえ。さっき、儂の身体を奪おうとしたのは誰だっけ?」
『あれは正当防衛だよね? 君が諦めようとした命を、私が取り返そうとしただけじゃないか?』

 くすくす笑い声が聞こえた。女性は乾いた手をルドミラの肩にかけた。
 そのままルドミラの背中に回り、歌うように話した。

『あんなくだらないものより、私は君をずっと待っていたわ。あなたが誰かのおもちゃになるのなら、その飼い主は私であるべきでしょ? そうじゃない? あのお嬢さんがたまたま運良く現れたけどね』

 ルドミラは先程の突風を思い浮かべながら、かすかに笑った。
 確かにあの時の風がなかったら、こいつはこの身体を支配していただろう。

 それに、半信半疑で投げかけた課題をまさかナマリエが本当に練習しているとは思わなかった。
 ましては、やり遂げるとは思わなかった。

 一度だけではなく二度も自分を救ってくれたのに、また救われるとは、夢にも思わなかった。

『一生、君に助けてくれと願う人達ばかりだったのに、死を目前として初めてあなたを救うと言う人が現れた。運命のように感じられるのは分かるよ』

 風は気に入らないという声を出した。

『でも、今生き残ったとしても、一緒にいられる時間はとても短いだろうね。結局、時間が経てば君のことなんて忘れるわよ。若ければ若いほど、すぐに忘れるものよ?』

 両腕がルドミラの肩を包み込むように抱きしめた。
 まるで警告でもしているかのようだが、本当はただ、ルドミラの悩みを弄んで楽しんでいるだけだ。
 いつも一緒にいるのだから、こんな手口は通用しない。
 ルドミラは誰かさんの言葉をそのまま借りるようにして答えた。

「たとえ明日には滅びる世界を今日守ったとしても、それが無意味になるわけじゃあない」
『理解できないわね、たった一日で何が変わるのよ?』
「同感だねえ」

 頭を上げたルドミラは同意した。

「だから確かめてみようと思っての。滅びを先延ばしにした世界で、一体何が起きるのかを」

 鋭い笑い声が聞こえた。周囲の気流が彼女に向かって集まってきた。霧が揺れ始める。

『よし、面白いわね! 力を貸してあげるわよ。でもね、私はお情けで戦うような性格じゃないわよ』

 両手がルドミラの首を抱きしめた。不気味な警告が耳元を鳴らした。

『気を引き締めて耐えなさい。もしも根性をみせなかったら、君の身体を支配した後、あなたの心の中に入ってきたあのお嬢さんも残らず呑み込んでしまうわよ』

 ルドミラは首を振って、自分にまとわりついた風を払いのけた。短い黒髪が風になびき、徐々に銀色に染まっていく。
 風の気配が全身を通じて染み込んだ。
 しばらく閉じていたマナ神経が大きく開き、視界が鮮明になった。
 彼女は光り輝く銃身を持ち上げ、空へ向ける。

「とんでもないねえ」

 しばらく閉じていた目を開けた。
 世界へ戻る時が訪れたのだ。