[ルイン/セリアード] 血の奉献式:後編
※この小説はメインクエスト8章のネタバレを含んでいます。
姉妹は奉献式のために新しい服を受け取り、新しいブローチをつけた。
セリアードは、毎日身に着けていた神秘的な青い宝石のブローチではなかったので、不思議そうな顔をしていたが、新しく受け取ったブローチも気に入ったのか、すぐに明るく笑った。
「これもきれいだよね?」
にっこり笑う妹とは違って、少女は別のことを考えていた。
「セリアードのブローチは、持っていかせないようにしなさい」
神殿から帰る馬車で交わした、あの話のせいだろう。
少女はすぐに思い出したが、他のことは言わなかった。
ただ、少々浮かれ気味のセリアードとは違い、少女は少し緊張していた。
一度も行ったことのない場所、女神様が存在するという場所。
その上、テリンヌ家の人々だけではなかった。
空を飛ぶ不思議な物体に乗って周囲を見回すと、見慣れない顔がたくさん見えた。
テリンヌ一族だけでなく、王国の王が共にするという。
少女は王家の人々が気になったが、むやみに歩き回らないことにした。
大人たちに心配をかけたくなかったからだ。
「ルイン、あなたがお姉さんだから。セリアードの面倒をよく見てあげてね」
姉妹の母親は、浮かれたセリアードを落ち着かせ、少女にはお願いの言葉を伝えた。
彼女は最初、女神の庭園に向かう二人の子供の面倒を見守りたがっていたが、テリンヌ家の中での彼女の位置は長老の次で、やるべきこともあった。
おかげでテリンヌ一族の将来を嘱望されるデテクター姉妹は、先を行く長老と母親とは少し離れた場所からついて行く途中だった。
「すごく不思議だね、おねえちゃん……」
手をつないで歩いていたセリアードは、興奮気味に手を離し、前に走り出した。
「勝手に走ってはいけないよ、セリアード」
「でも! でも、こんなにきれいなんだもん!」
白い大理石に金色の光が差し込む。
見たことのない神聖な空が周囲に広がっていた。
女神様がおられる場所は、下の世界とは全く異なる雰囲気だった。
まるで夢を見ているかのような気分。セリアードが興奮したのも当然だ。
少女もやはり、母親のお願いがなかったら、セリアードと一緒に鬼ごっこをしたかったかもしれない。
「お嬢様、そちらへ行ってはいけません」
あちこちと走り出すセリアードをテリンヌ家の人が止めた。
少女は苦笑いを浮かべ、セリアードの後を追ってその腕をつかんだ。
「セリアード、こっちおいで」
「あれ、気になるんだけれど……」
「奉献式が終わったら見物させてもらおう。女神様に直接許可をもらうんだよ」
「そうだね。女神さま、女神さまに会えるんだよ」
姉妹は再び手を取り合って、進んでいく人々の群れの中に入ってきた。
姉妹の世話をする任務を引き受けたテリンヌ家の人が、安堵の息を吐く。
少女は少し申し訳ない気持ちを持った一方で、一緒に立っている妹の手をぎゅっと握った。
「これから祭壇へ向かう儀式を行います」
巨大な門の前に立ち、テリンヌ家の長老が大きな声で叫んだ。
「必要な材料は全部で五つです。 テリンヌ家で一つ、教団と王家から、それぞれ二つずつ集めてください」
前から詩を詠む声が聞こえてきた。
少女も、セリアードも、今やすっかりと覚えてしまった詩。
心に刻みなさい、女神に会う資格を。
崇めよ、純白の使徒と英雄の名を。
感謝せよ、悠久の蜜と怒りを……。
それぞれやるべきことが何であるか理解しているように、集まっていた人たちは三つの群れに分かれて、女神の庭園の内外に向かい始めた。
***
「おんぶをしましょうか? ルインお嬢様」
すでにセリアードを背負ったテリーヌ家の人が、心配そうな顔でこちらを見下ろす。
少女は首を横に振った。思っていたよりも長い旅程になるということは知っていたし、それに対する心の準備もした。
それに今はセリアードが疲れていた。
少女は自分がおんぶをされると、セリアードが歩かなければならないことをよく知っていた。
だから我慢をした。
「もうすぐです。もう少し頑張ってください」
「うん」
奉献式のために出発した人々は、女神の庭園で必要なものを全て見つけ出した。
五つの聖物で女神の玉座に向かう道を開き、彼らは今や壇上に向かって歩いていた。
「あそこですよ、お嬢様」
儀式のために長い階段と廊下を通り、少女は広々とした円形の間に到着した。
大きくて丸い池を囲む空間だった。
澄んだ青い波間に人が行き来できる道が敷かれていた。
大司教と王、テリンヌ家の長老が、細い道を先頭に立って歩いた。
「雲がいっぱい……」
開けた円形の間を神秘的な雰囲気の雲が包み込んでいた。
彼らが進む道の先に巨大な塔が見える。
セリアードを背負って一緒に歩いていたテリンヌ家の人が、身体をかがめて少女にささやいた。
「向こうに女神様がいらっしゃるそうです。だから、その前に祭壇を設けるのです」
祭壇の近くに到着し、足を止める。
教団、王家、テリンヌ一族が一糸乱れず、再び三つの群れに分かれた。
おんぶをされていたセリアードも眠りから目を覚まして地面を踏む。
少女は妹の身なりを整えてあげた。
「おねえちゃん……」
「うん、セリアード」
「女神さまは……?」
「もうすぐ会えるよ」
小さな声でささやきながら、姉妹は後ろに立った。
ここからでも祭壇の姿はとてもよく見えた。
テリンヌ家の長老と姉妹の母親が動いていた。
司祭が出て祭壇を設け、姉妹の母親が近づいて長老にベルベットの袋を渡す。
長老は袋からきらめく青い石を取り出した。
キーストーン。
司祭たちが整理した祭壇の上に、テリンヌ家の長老がキーストーンを置いた。
「祈りを捧げ、女神様をお迎えください。大司教クロエ」
優雅な白い征服をはためかせ、大司教が二、三歩前に出た、その時だった。
「大変です! 非常事態です!」
人々の群れの間から、教団兵が飛び込んで。
「何事ですか」
「庭園の守護者たちが理性を失いました。 襲い掛かってきています!」
「そんなはずが……私たちはきちんとした儀式で許可を得ました。守護者たちが暴走する理由が……」
「そんなことを言っている場合ではありません。兵士たちを率いて、あそこから防がなければなりません」
そう言った教団兵が周囲に向かって叫んだ。
「護衛部隊は全員、私に従え!」
突然の教団の指揮権強奪に、テリンヌ家の私兵とエスプロジェン王国軍が動揺を起こした。
「陛下、陛下」
「長老様……」
他の人たちが乗り出す前に、大司教が杖を掲げた。
「女神の庭園は教団の領域です。教団長たちの命令に従ってください。今すぐ下から上がってくる暴走した守護者たちを防がなければなりません」
断固として語る大司教の姿に、王はうなずいた。
「そうするように」
「はい、陛下」
王が許可を出すと、テリンヌ家も違った対応を取る理由がなかった。
守護者たちの暴走を防ぐため、多数の護衛兵たちが池の間から出る道を走って消えていった。
五つの聖物で開いた道は、階段と廊下だけだった。
その道さえ塞げば、上は安全だろう。
「これは何事か。長老」
「今までこんなことは、一度もなかったが……」
姉妹は注意深く後ろに下がっていた。
不穏な空気が立ち込み始め、恐ろしくなったセリアードが、少女の手をぎゅっと握った。
「奉献式はどうすればよいのでしょうか。彼らが防ぐその間に進行を……」
向こうから苦痛に満ちた悲鳴が響き渡った。
奇怪なうめき声が、女神の庭園を埋め尽くした。
「状況が良くないようだ。本当に……」
そわそわする王が心配そうなため息をついた。
それだけではなかった。
祭壇の向こう、女神がおられるという権座の前に、初めて見る光の守護者たちが姿を現した。
頭に埋まる目が真っ赤だ。
敵意を持っているのに違いない。
「長老様、こちらへお逃げください!」
「前からも、後ろからも、現れたのか!」
「兵士たちは皆、あちら側にいるというのに……」
青ざめたテリンヌ家と王家の反応とは違い、大司教は余裕を持って歩み出た。
女神の権座の前に現れた守護者たちは、そのまま滑るように降りてきて、大司教の背後に立った。
「慌てないように。この守護者たちは私の言うことを聞きますから」
「何だと?」
敵意で凶暴な守護者たちを従えた大司教が、杖を高く掲げた。
「命が惜しくないですか? おとなしく私の足下にひざまずくほうがよいでしょう」
一度に状況が理解できないようで、残っている人々の間に動揺が広がった。
大司教は背筋をまっすぐと伸ばし、再び宣言した。
「これからエスプロジェンは、新しい神の意志で生まれ変わります」
「それはどういう意味か……!」
「キーストーンを私に捧げよ。という意味です。テリンヌの一族よ」
守護者を従えた大司教が壇上に近づいた。
その前に散らばったキーストーンを一度にかき集めて胸にしまい込む。
いつの間にか守護者だけでなく、姿を隠していた別の教団兵が現れ、彼らを取り囲んでいた。
ここで大司教の動きを止めることができる者は、誰もいなかった。
「女神様の声が聞こえるというのも、全て嘘だったのか」
「女神様がいらっしゃるのなら、このようなことを許すはずがない。ベルティ様に何が起きたのだ……!」
キーストーンをしまい込んだ大司教が、長老の言葉に面白いという表情をした。
「それを知ることが出来たなら、あなたがテリンヌ家の長老ではなく、大司教になっていたでしょうね? ふふ……」
「資格のない者が……!」
「資格がないとは、どういうことだ」
「翼がない時から、君の純粋さは……グフッ」
怒気に満ちた大声を上げていたテリンヌ家の長老が、言葉を紡ぐことができず、血を吐きながら倒れた。
「長老様……!」
長老の胸に、守護者の鋭い剣が刺さっていた。
守護者が後ろに下がり、胸を突き刺した剣を抜くと、血が噴き出して壇上を濡らした。
赤い血が、白い空間に流れ始めた。
「これ以上のチャンスを与えることはできませんね。こうなった以上、テリンヌ家は粛清です」
「な、何……?」
「ゴホッ……」
倒れた長老と、その長老を支えているテリンヌ家の人々を後にして、大司教は軽い足取りで壇上を降りてきた。
「その子供たちは殺さずに。生け捕りにして連れてくるように!」
大司教の言葉が終わるやいなや、周囲を取り囲む教団兵と、敵意を露わにした守護者たちが、人々を攻撃し始めた。
「こ、こんな……こんなことは……」
血の流れる壇上、凄惨に殺されてしまったテリンヌ家の長老。
その一方で、呆然とするエスプロジェンの王が立っていた。
ためらうことなく殺戮を行う守護者たちを背にして、大司教は今、震えている王を眺めた。
「さて、陛下。王妃は療養と安産のために霧の要塞におられますが……そのことを忘れてはいないでしょうね?」
***
何が起こったのか、よく分からなかった。
あそこに居た長老は血を吐いて倒れ、母親の姿も消えた。
突然、現れた光のモンスターと教団兵は、周囲の人々を次々に襲い、刺した。
槍と剣が突き刺さる鉄の音に、凄絶な悲鳴が混じる。
お母さん? 長老様?
少女は右往左往としながら辺りを見回した。
セリアード、セリアードの姿が見えない。
さっきまで手を繋いでここにいたのに。
逃げる人々の間に紛れ込んで、見失ってしまった。
「お母さん!」
セリアード!
少女は慌てて声を追った。あの悲鳴はセリアードのものだ。
音を追って顔を向けると、襲い掛かる教団兵を避けて走っていく幼い子供の姿が見えた。
「セリアード!」
名前を呼んだが、こちらに気づかず、セリアードは水へと落ちた。
セリアード、セリアード!
少女は何の躊躇いもなく、セリアードが落ちた水の中に飛び込んだ。
下の方で妹が沈んでいた。
急いで手を伸ばして上に浮かんだその手を掴み取る。
泳ぐことはできなかったが、沈む妹を救うのが先だった。
息ができず、苦痛がこみ上げてきた。
妹の手をぎゅっと握り足を動かしてみる。
水中で見たセリアードは、白い顔が青く感じられた。
鼻が辛くてのどが痛い。
目を閉じたいが、閉じてはいけないという気がした。
ルイン、私の子よ……!
こちらを呼ぶような錯覚に、顔を上げると、そこには母親の手があった。
少女は力を振り絞って足を動かした。片手を上げて必死に上へと伸ばした。
「ルイン! セリアード……!」
はっきりとした声とともに引きずり上げられ、一気に息をついた。
少女は母親の胸に抱かれていた。
お母さん、お母さん。
一緒に抱かれたセリアードのぐずる声が聞こえてきた。
「おかあさ……」
濡れた鼻先に、濃い血の匂いが漂った。
少女は目を大きく見開いた。
両手を伸ばして母親の身体を抱きしめたが、手に水とは違う粘り気が感じられた。
「お母さん……?」
ああ……。
ため息のような息づかい。
姉妹を抱いた体が重く前に傾いた。
一緒に抱きしめられていたセリアードが、泣き声を上げる。
「ここです!」
頭の上に影を落とし、抱きしめていた身体が崩れる。
ルインとセリアードを抱いていた女性は、そのまま横に倒れた。
「お母さん? お母さん……」
倒れた母親に向かって手を伸ばすが、少女の両手には赤いものがいっぱい付いていた。
母親を抱いた手なのに、どうして。
「お母さん……」
二人の少女の前を、輝く杖が遮った。
見たことのある杖だった。
少女はその日、神殿の最も深い場所、壇上の前に立っていた大司教の杖を思い出した。
「残念なことになりましたね、皆さん」
声さえはっきりしていた。
少女は顔を上げた。
優雅な白い正装、神聖さを表すその白い司祭服に、赤い血が花びらのように飛び散った。
「私についてきてください。使命を受け、女神の声の元で、じっくりと教育を受けてもらいましょう」
青い目が冷たく少女に向かって突き刺さった。
少女は唇を噛みしめ、震えている妹の手をぎゅっと握った。
「私のために、キーストーンを持ってくるように」
大司教が、美しい顔で笑った。
***
真っ赤な血の風が吹きつけたその場所に、黒い鎧の男が現れた。
男は大きな剣を一振りした。
刃には、男の行く手を阻んだモンスターたちの光の群れが乗って、流れ去った。
彼は荒い息を吐き出し、急ぎ足で女神の庭園をかき分けた。
モンスターたちの死体も、人間たちの死体もたくさんあった。
白い空間を埋め尽くした血は、少しずつ乾いてきたところだった。
死体は多かったが、生きている人の姿は見えなかった。
男は自分が遅すぎたことに気づいた。
それでも、それでももしかしたら、誰かは。
誰かは生きているかもしれない。
男はそうして、その中をさまよい、またさまよった。
「もうやめとけよ」
儀式を行ったはずの祭壇の前に剣を差し込んだまま、荒い息を吐く男の前に、紫色の髪の毛のエルフが現れた。
男は彼に振り返らなかった。
「そちらは」
「いない。テリンヌ邸も燃え尽きたあとだ」
「…………」
「今、お前を罵るところだったよ」
男はしばらく言葉を発せられず、黙っていた。
「これでテリンヌ家は終わりだ。誰も知らなかったよ。あの女がここまでやるとは……ね」
重いため息がおりてきた。
「俺がもう少し早かったら……」
「自責するな。どうしようもなかったんだよ」
男の仲間は、彼に責任を追い込むなと言ったが、それはそれほど軽い問題ではなかった。
彼は何か口を開く代わりに、茫然とした顔で、もはや神聖ではない血で染まった庭園を眺めた。
「これで確実になったな。今の教団は、正気ではないということに、な」