鬱かもしれないし、そうじゃないかもしれない

最後に鬱と診断されたのも随分前だ。

以前に住んでいた場所で、子どもも生まれて一年経ってない時だったと思う。姉から紹介された病院(※)だった。

(※)本当はクリニックだけど本文中は病院と表記する

初めて行ったときは緊張のせいで心が圧迫されたのか、病院の前まで来たら喉の渇きと咳が止まらなくなったのを覚えてる。よく帰らずに中に入っていけたなと今なら思う。

結論から言うと良い病院だったかどうかはわからない。少なくとも不快な思いはしなかったはず。

ただ、何回目かになるとどうしても「良くなってきてます」という自分を見せたくなってしまうし、自分もそう思い込んでしまいたいところがあった。

病院に行って薬を出してもらった以上は「良くならないといけない」という意識があったのかもしれない。
それで大してよくなってないのに「良くなった」ことにして行かなくなったのである。

引っ越してからはどうにも病院に行く気になれなかった。
とりあえず探すのが億劫だ。評判を調べようにも、病院のレビューは偏りがあることが多い印象で、絶賛レビューも、酷評レビューもどこまで信用していいかはわからない。
そもそも先生との向き不向きが強いように感じていた。

なによりも病院に行きたくなかった。「そっとしておいてほしい」という気持ちが強かった。

でもインターネットを見ると薬で治すのがよいという記事が多く、父親も鬱だった時期があったので母親に相談すると「薬出してもらうと楽なんだけどねぇ」と言われて、やっぱりそうなのか……という気持ちが募っていく。

でも妻だけは「行きたくないなら行かない方がいいよ」と許容してくれたことは印象的で、今でも覚えているし、ターニングポイントでもあった。
このあたりからか、「別に無理しなくていいんだな」という気持ちが少しずつ生まれてきた。

それから何年も経ち、まぁ本当にいろいろなことがあって、全体的なメンタルの強度が上がったかと思えば、些細なことですごく落ち込むこともいまだにある。

「ああ、やはり病院に行くべきなんだろうか……」

落ち込むたびに考えていたけれど、ここ一年くらいで払拭されてきた。
自分との付き合い方もわかってきて、落ち込む前兆みたいのもわかるようになってきたし、対策を講じればそれなりになんとかもなる。

鬱かもしれないし、そうじゃないかもしれない。

そういう前向きな諦めが出てきたせいか、最近になってついに病院を探すことができた。はじめて余裕が出てきたんだなと思う。

結局、家から近いところがよいという結論に至った。遠くにある評判のよい病院が自分に合っているかはわからないし、合っていなかったときの徒労感も計り知れない。

家の側のバス停から飛び乗って、15分くらい目を閉じてからバスを降りれば目の前にあるクリニックに、本当にどうしようもなくなったら行くと決めた。

決めてしまえばあとは楽なもんだし、「決めていない」という事実に負荷がかかっていたことに、決まってから気がつく。

なんかもうこれで大丈夫な気もするし、仮に大丈夫じゃなくなっても決めてあるから、どちらにせよ大丈夫だ。

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