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無数の死体に、祈ることさえ出来ないADHD 【ADHDは荒野を目指す】
3-22.
ルワンダの首都キガリにて、僕は快適な日々を送ります。
タクシー運転手に連れてこられた場所は、どうも街の中心部から少し離れているらしく、高い建物も綺麗な建物も一切なく、店も少ない。車通りも人通りも乏しい。
道路もほとんど舗装されず、土の道ばかり。しかも雨季であるせいでしょうか、霧雨のような細かい雨がしょっちゅう降ります。
少し歩くだけで、服が泥だらけになります。
それでも、霧雨のせいで視界がろくにきかず、濡れた壁は光を反射して輝き、静かな通りはより静かになる――そんな風景には、何か幻想的な雰囲気すらありました。
治安にも問題を感じず、僕は散歩を楽しみます。
しかも幸いなことに、宿のすぐ近くに美味しい料理を安価で食べられる食堂が幾つかありました。パンやお菓子を変えるスーパーもある。
その居心地の良い場所で、僕は一週間ほどの間、何もせずに過ごしました。
勿論、そんなことをしている場合ではないことは分かっていました。
早く日本に帰らなければならない。
そしてその為には、すぐ近くにある、目的地に行かなければならない。
でも――気が進まないのです。
行けば旅が終わり、日本に帰らなければならなくなる――そんな思いがあった訳ではありません。
ただ、嫌だったのです。
その場所に行けば、僕は感情を激しく揺さぶられるでしょう。確実に、ネガティブな方向に。
そして、嫌なことからは、出来る限り目を背けようとするのがADHDなのです。
今日は雨だからやめておこう。
今日も雨だからやめておこう。
今日は雨は降っていないが、道が悪そうだからやめておこう。
そんな感じで、僕はその場所に行くのを、一日、また一日と先延ばしにして、キガリでの快適な日々にしがみついていました。
でも、小学生に八月三十一日が必ずやって来るように、僕の心にも、流石にそろそろ動かなきゃ、と思える日がやって来ます。
良く晴れ渡ったある日、僕は覚悟を決めて、バスターミナルに向かいます。
けれども、どのバスに乗ればよいのか分からず、まごつきます。
周囲の人に尋ねるが、フランス語で話されても要領を得ない。その内に、一人の女性が、呆れたような表情をして僕を手招きして歩き出す。急いでついて行くと、十分ほど歩いた場所にある別のバスターミナルに連れて行かれ、このバスに乗れと指示されました。慌ててその女性にお礼を言おうとしますが、彼女はさっさと去って行ってしまいます。
そこからバスで三時間ほど走ったところで、目的の村に到着します。
そこで待ち構えていたバイクタクシーにのり、丘を登ると、目的の建物が見えてきました。
ゲートをくぐり、広い野原――元々校庭であった場所を通り抜けると、そこにトタン屋根の安っぽい三つの長屋――元々校舎であった建物が見えてきました。
僕が近づいてきているのに気付いていたのでしょう、中から、笑顔の男性が現れました。
勿論フランス語で話しかけられます。
その言葉は理解出来ませんでしたが、ルワンダに到着して覚えたフランス語で、僕は、自分が日本人旅行者であり、ここに見学に来たと伝えます。
それを言った瞬間、僕は、その男性の頭部が異様にへこんでいることに気付きます。
僕の視線に気付いたのか、男性は笑顔のままで、何かを自分の頭に叩きつけるような素振りをします。
――ああ、頭蓋骨を割られたのか。
僕は理解し、頷きます。
そして男性は、僕を小屋の方へと導きます。
扉の前で立ち止まり、鍵を取り出し、南京錠を開けます。
途端、凄まじい匂いが鼻をつきます。
僕は思い出します――チベットにて、鳥葬を見た時のことを。僧侶が死体の腹を裂いた時に、一気に周囲に充満した、あの匂いを。
恐る恐る部屋の中を覗きます。
――幾つかのテーブルの上に、白い物が所狭しと並んでいました。
目を凝らして、ようやくそれが、人の形をしていることを理解します。
そう、何十体もの死体が、そこに並んでいるのです。
勿論黒人の物ですが、それが白くなっているのは、恐らく、死蝋化と呼ばれる現象でしょう。
湿った土中に大量の死体が投げ込まれた。その結果、外気と遮断され腐敗を免れた脂肪が、ことごとく蝋化した――そんなことが想像できます。
そこは、無数の死体が納められた、虐殺記念館と呼ばれる建物でした。
僕が訪れる数年前に発生した、ツチ族とフツ族の殺し合い――隣人同士の殺し合いの結果、何十万人もの死者が出ました。
ここは、この村の被害者の死体を掘り出し、元々小学校だった校舎の中に並べ、襲撃されながらも辛うじて生き残った男性をガイド役に配した、そういう施設なのです。
男性の案内に従って、全ての部屋――元々教室だった部屋を僕は眺めます。
白い死体に加え、頭蓋骨が並べられている部屋もある。
何千、何万もの死体を全て眺めて、ようやく終わりです。
最後に、案内役の男性は、建設途中である建物の中に僕を招き、一冊の分厚いノートを見せました。
手書きの文字と、数字が、何十ページに並んで記されています。
流石の僕も、それが何を示すのかを理解します――寄付をした人の署名と、その金額です。
実際そのノートには、寄付金はこの記念館をもっと立派な物に建て替えるために使われる、と記されていました。
僕はそのノートを眺めます。
署名の横には、寄付者の国籍を書く欄と、感想を残すための小さなコメント欄があります。
元フランスの植民地だったせいでしょう、多くがフランス人のものであり、殆ど読み取ることが出来ません。
ただ、最近の欄に、日本人の名前を見つけ出します。
それが、一か月ほど前エジプトで出会った、知り合いの女性であることに気付き、僕は少し驚きます。
とはいえ、ここは僕でも知っている、旅行者の間ではスポットです。彼女がここを訪れたことに不思議はない。
ただ、彼女の残したコメントを眺め、僕は、複雑な感情を覚えます。
――二度とこういうことが起きないよう、世界平和を祈ります。
違う、と僕は思います。
この圧倒的な事実の前に、祈ることなんて何の意味もない。そう強く思います。
でも、じゃあ具体的に何をすれば良いのかなど、分からない。
こういうことは、ない方が良いに決まっている――でも、人間の歴史上において、スケールの大小は違えど、他人を殺すなどという出来事は無数に起こっているし、これからも起こるでしょう。
もしかしたら僕は、いつの日か、自分の身の回りではこういうことを起こらさないように出来る人間には、なれるかも知れない。
けれども、こんな遠い世界で、こんな遠い人々の中で、何かが出来るようになるとはとても思えないし、そもそも――そうしたいとも、思えない。
自分自身のことで、精一杯なのだから。