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戦略的サボりで育児に備える

サボり癖が付いたら二度と治らないよ!

と子どもの時代の僕はよく言われていた。
そして真面目に生きることを美徳として教えられた。

だから僕も自分の子どもに真面目に生きて欲しいと思う。

しかし同じ方法ではダメだ。

僕にはしっかりとサボり癖が付いてしまっている。

それがなぜかはわからない。
自然とそうなっていた。

サボり癖を極めた僕が子どもたちに教えてあげられることはあるだろうか。

ダメだ。
何も思いつかない。

そもそも真面目という概念がピンとこない。

常に真面目な人間など存在するのだろうか。
さぞかし疲れる生き方だろうと想像する。

僕だってサボり癖はあるけれど 真面目を発揮する場面はもちろんある。

いや、本当だよ?
嘘だと思った?

フフフ。

おバカさんだね。

だけどサボらずに真面目に生きろというのは少し無茶だと思う。

真面目とは 本気で嘘はない ということ。

ならば言わせてもらおう。

僕は真面目にサボっているんだ。


常に気を張っていては疲れてしまう。
いざとゆうときに力を発揮できない。

だからこれは戦略的サボりというヤツさ。

そうさ 僕が休日に自堕落な生活を送っているのも戦略なのだ。

今日もスマートウォッチが「アクティビティをしよう座っていないで立て」と助言してくる。

もちろん僕は腕時計の指示なんて受けない。

なぜならこれは戦略的サボりなのだから。

無計画で無秩序なサボりとはわけが違う。

機械にはわからないだろう。

サボることには大きな意味と役割があるのだ。

それは。

夜の育児に向けての気力と体力の温存だ。

休日なのだから仕事は休める。
当然の権利だ。

だが育児は違う。
育児に休みはない。
年中無休だ。

ならばそこ育児に向けてコンディションを整えるのは父親として当然の嗜み。

昼間にしこたま自堕落を享受したのだから夜の育児はベストな状態で臨むべきであると自分に言い聞かす。

そうしないと些細な事でイライラしてしまったり 怒る必要のないところで怒ってしまったりして後で自己嫌悪に陥ることになる。

そうならない為には戦略的サボりが必要不可欠なのだ。

起床後、家族母子を送り出し 家事をサクッと片付ける。

時計は10:00を示している。
さぁここからは僕の時間ターン
僕のテリトリーだ。
何人も立ち入ることを禁じる。

そしてAmazonプライムビデオでアニメ「推しの子」を見続ける。

観だすととまらん。

途中で昼食という名の栄養摂取を済ませる。

そしてまた戦略的サボりモードに突入する。

突然だが「ニートは才能」という言葉を聞いたことはあるだろうか。

僕はそう思う。

そして僕にはその才能はなさそうだ。

朝から座りっぱなしの僕の体は悲鳴を上げている。
まずお尻が痛い。
座椅子に座って足を投げ出しているので、久しぶりに足を曲げようとすると痛い。
立ち上がると身体が重く感じる。

僕には長時間同じ姿勢を保つ才能がない。

15:00を過ぎたあたりから座ってられなくなる。
洗濯物を取り込んだりと家事をこなし始める。

戦略的サボりは終了だ。

このまま保育園へ赴き なし崩し的に夜の育児タイムへと移行していく。

ふう。

こんな僕が子どもたちに言えるだろうか「真面目に生きなさい」と。

妻には怒られそうだが子どもたちには「真面目」よりも「世渡り上手」を身に着けて欲しい。

真面目で得をすることは少ない。

人の助けを得る才能である「世渡り上手」を是非とも習得して欲しい。

その為には上手にサボるというスキルも必要だろう。

真面目一徹では難しい。

うん。

それサボりならパパはとっても得意。


教えてあげるよ。

ママには内緒でね。

サボりのエキスパートであるパパがいて安心だ。

案外サボりというのは奥が深い。

サボりを極めるとその質はどんどん上昇する。

周囲からは一見ストイックにみえる行為もサボり上級者はしっかりサボっているもんだ。

例えば僕はnoteで毎日投稿をしている。

毎日投稿未経験者からはストイックとうつるかもしれない。

しかし 決して真面目というわけではない。

真面目なら内容を吟味し精査し訂正をなんども繰り返してから投稿する。

僕はそこをサボる。


とにかく投稿することを優先する。

するとアタリ記事もあればハズレ記事も出てくる。

とにかく はたから見れば真面目に頑張っているように見えてその実、本人はしっかりサボっているのだ。

この極意を息子にも伝えたい。

そこはサボらない。


ではまた。


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