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エッセイストが最強な理由 カオスを召喚しよう

これからnoteを始めようとしている人や、日々何を投稿しようか迷っている人が この記事に辿りついたならとってもラッキーだ。

ここに 当面の答えがある。

何を書けばいいのか困ったら エッセイを書こう。

エッセイはその記事の中で 主張が目まぐるしく変化しても受け入れられる。

エッセイとは その人の心そのものを言語化したものだから。

頭の中のカオスを無理やり言語化しているのだ。

支離滅裂になっても仕方がないこと。

決まったルールはない。

へんな文法も、言い回しもすべて個性となる。

そのカオスな状態を なんとか読める文章にしたてるのがエッセイストの役割だ。

他にも文章を創造する人たちがいる。

作家 ルポライター 書評家 記者などなど。

彼らは自由に文章をクリエイトすることは許されない。

ある程度のルールにのっとり、文字を構築していく。

それは窮屈な作業だろう。
(やったことないから想像だけど)

でもエッセイストは違う。

頭の中のカオスを捕らえ 引きずり出し 文字として世に召喚する。

そう、エッセイストは召喚士なのだ。

「封印されし言葉たちよ いざ読まれる為に現世に出でよ! エッセイ 召喚!」

ね?こんな意味不明なことを書いても 許されるのがエッセイの魅力。

読んでいる人からしたら、だから?と言いたいだろう。

でもエッセイに対して だから? は禁句だ。

エッセイストはなにも言い返せない。

だって思ったことを書いただけなんだもの。

だから気にせずに書くといい。


エッセイに似た属性のモノに 詩 がある。

エッセイと違うところは 言葉を慎重に選びぬき、頭の中のカオスを不明瞭にして かっちょよく伝えるところだ。

エッセイはおおらかであるのに対して、詩は洗練されている。

さて、ではなぜ エッセイストは最強なのか。

それは誰でも書けて、オリジナリティを発揮しやすいからだ。

誰でも書けるというのは「真実でなくてもいい」という点が大きい。

エッセイでは内容が本当かどうかは誰も気にしない。

現に僕は召喚士ではない。

僕が地球空洞説をエッセイの中で熱く語っても、読書からしたら だから? なのだから。

だから誰でも書ける。

書いたもの勝ち。

日本語が話せれば誰でもエッセイストになれ、それを公表する場が準備されている。

書かない理由はないだろう。


でも 文章を書く理由が「収益を出したい」「多くの人に読んでもらって評価されたい!」というのであれば、エッセイは最弱かもしれない。

お金を出して他人のカオスを覗き見ようという人は稀だ。

とにかく文章を書いてみたい。

noteに投稿してみたい。

そういう人にはエッセイは最強だ。

今すぐに始められる。

何も調べる必要はない。

答えはあなたの頭の中にある。

さぁ召喚するのだ。


エッセイ以外の内容は調べれば誰でもある程度 書けてしまう上に、似たり寄ったりな内容になる。

その分 競合相手も多い。

あなたの頭の中を抽出して表現できるのは あなただけ。

そして、僕はあなたの頭の中を覗き見たい稀な人間。

あなたの頭の中を読みたい。

普段は隠されている頭の中を共有できる究極のコミュニケーション。

それがエッセイだ。

良く言えば独創的、悪く言えば適当。

ここまで何も調べずに書いているので、エッセイの定義がそもそも間違っている可能性も高い。

でもそんな事を気にして筆を止めているようではいけない。

読む専の人も、小説家も、ルポライターもガジェット系レビュアーも、エッセイを書こう。

色んな人の頭の中を覗いてみたい。

エッセイストは最強でありつつ、最も簡単。

書かない手はない。

読みやすい文章とか小手先のテクニックは後からどうとでもなる。

今は 書きたい という情熱だけで始めていい。

さぁ最強の召喚士(エッセイスト)になる為に、記事を投稿するのだ。

では記事をお待ちしています。

ではまた。


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