水をさす天才あらわる
長男が誕生日を迎えた。
5歳となる長男は祖父母と両親からプレゼントを買ってもらう。
まさに今日という日の主人公だ。
それはそれは喜んでいた。
前々から欲しいほしいと希望していたおもちゃをGETしたのだ。その嬉しさはひとしおだろう。
夢中で遊び倒している。
フッこれが幸せというやつか とその光景を眺めながらハッピーを噛みしめる僕。
よく物語ではこう続く。
「しかしその幸せは長くは続かなかった」
と。
まさにそうだった。
幸せムードが一転して修羅場と化す。
そう1歳の次男が降臨したのだ。
兄の新しいおもちゃに興味津々の次男は遠慮や手加減というものを知らない。
破壊の権現と化し新しいおもちゃを蹂躙する。
兄は必死に抵抗するが圧倒的な理不尽の前に泣きそうになっている。
両親が間に入るが ふたりの距離を分かつことは難しい。
そんな状況を見て 水をさす ってこういうことを言うんだな。
と ひとり考えていた。
そして 幸せは長くは続かない というのは不変の真理なのだなと深く納得した。
長男の気持ちも次男の気持ちもわかる。
でもそうやって人間社会の厳しさを学んでいくんだ。
しかし、このまま育つと長男は世の中の理不尽さを学び 次男は水をさす天才への道を歩いていくのだろうか。
親としてはどんな分野でも秀でているのは嬉しいのだが 水をさす天才というのはなんだか微妙だ。
日本では生きづらいかもしれない。
まぁでも 水をさす というのが日本独特の文化だと思う。
「空気を読む」の対になるのが「水をさす」だ。
今は世の中は空気を読む能力が求められているが、これからは水をさす能力が求められるかもしれない。
未来に賭けよう。
しっかしこういうイベントは疲れるね。
疲労感が半端ない。
でもそんなことはもちろん言わない。
僕には水をさす才能がないから。
言えない。
だからここで文章にして吐き出す。
スッキリ。
ではまた。