死後離婚なんて知りたくなかった
死んでから配偶者と相手の親族との縁を切る行為。
それが死後離婚。
おんなじお墓に入りたくないという。
どんな気持ちなんだ。
どれだけ嫌いなんだ。
死んでからのことなんて自分ではわからないのに。
まだ死ぬ実感がないからか、僕はお墓に入るという行為自体に興味がない。
どこの墓でもいいし、墓なんてなくてもいいし、だれも墓参りにこなくてもいい。
僕はもう死んでるんだから確かめようがないし。
だから死後のことに執着する気持ちがなんだか怖い。
死んでからもあなたと一緒は嫌ということだから怖い。
民族関係終了届けと恐ろしものがあるらしい。
婚姻届をだすと、その親族と民族関係になる。
配偶者の死後なにもしないと、親族と民族関係は継続される。
それを消し去る恐ろしい届けなのだ。
存在はまだまだマイナーだが、普及すると嫌な世の中になりそうだ。
婚姻届を出したがゆえに入る墓まで決められてしまうというのは、婚姻届のヤバさを改めて認識するところだ。
僕は怖い届けをそんなつもりはなく出していたのかもしれない。
そして長い結婚生活で婚姻届を出した時の気持ちなどどうでもよくなるんだろうな。
そんな何十年も前の若い頃の感情によって決定された婚姻届に死後も縛られるのは我慢できないのだろう。
その気持ちはわかるような気がする。
僕のようなゆとり世代はどの墓に入る、などという昔から慣習には興味がなく、なんにも考えていないのが実情だろう。
最近では永代供養のようは檀家に入らなくても良いような制度があるので助かる。
寺とのやりとりって面倒そうだもんね。
僕が長生きして死ぬ頃にはお葬式ももっと簡略化されているか、消滅しているんじゃないだろうか。
その頃には死後離婚なんて当たり前になっているだろう。
そもそも結婚システムも破綻しているかもしれない。
だから僕には関係のない話だ。
いや、もし両親が死後離婚したとなったらどう思うだろう。
ずっと我慢してたんだな、辛かったねと思うだろうか。
きっとそこまでせんでもと呆れてしまうのではないだろうか。
でもそういう先駆者がいないと新しい流れは起きない。
だからもし、両親が死後離婚という選択をしても何も言うまい。
残された方の自由だ。
まだ死後なだけ、優しい世界じゃないか。
だって死んだ方はなーんにもわからないんだから。
気楽なもんだ。
先に死んだもん勝ちだ。
苦労するのは残された方。
だから僕は長生きして、妻の最後を見届けようと思っている。
まだまだ遠い未来の話だが。
もし、死後も魂があって現世の様子がわかるのなら、死後離婚はやめて欲しい。
死んだら無になる。
その方がなにかと都合がいいようだね。
子どものころは幽霊になって自由に空を飛んで好きな所にいくと夢見ていたが、そんな幽霊になると見たくない現実を見せられてしまうかもしれない。
幽霊はいるかもしれないけれど、見たくないものが多すぎて人前に出てこないのかもね。
死後離婚なんて知りたくなかったな。
ではまた。