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未来の考古学者を混乱に導く

それが僕のエッセイ。

200年程前の書物さえ現代の僕らは 満足に読むことができない。

それ程 文字や文章は時を経て変化する。

何千年前の文字なんて一文字も理解できない。


もし遠い未来に古文書として僕のエッセイが発掘されたなら。

きっと未来人は混乱するだろう。




時は3524年。

大昔の都市 東京都千代田区から遺物が発掘された。
そこには電子データを保存するサーバーと呼ばれる巨大な装置があった。
現代では失われたロストテクノロジーな為 解読に時間をようした。
発掘された大部分のデータは破損していて解析は不可能。
しかし唯一復元できたデータがある。
それが「ぜんけい」という名のnoteアカウントだった。
これは過去の人類がどういう考えをしていたのかわかる貴重な資料となる。
考古学者たちは歓喜した。
しかし…




てな具合で未来の考古学者に僕のエッセイが古文書として発掘されたとする。

僕は2024年頃を代表する人間となるわけだ。

これはヤバい。

未来人にアホだと勘違いされる。
(本当は天才の名を欲しいままにしているのに)

他の古文書から当日は地球温暖化などが問題になっていたとわかっているだろう。


きっと未来人はこう考える。

「ぜんけいのようなアホがいればそりゃ地球も温暖化するわな」

と。


悔しい。

全部僕のせいにされるなんて。

でもあながち間違っていないのもまた悔しい。


ここで僕は選択を迫られる。

未来人に見栄をはるために賢い系のエッセイに変更するか。

未来人を混乱の渦に陥れるためにさらに混沌としたエッセイを仕上げていくか。


さぁどうする。

悩ましい問題だ。


え?

それはどっちも書けるヤツができる選択だって?

ムムム。

たしかに まだ 賢い系のエッセイは書いていない。

そう 書いていないだけ。

決して書けないというわけではないからね。

僕の名誉の為にいちおう記しておく。


さて未来人の為に僕はどこまで配慮するべきだろうか。

過去の偉人もプライベートな手紙を大事に保管されて世界中に公開されている。

なんて可哀想なんだ。

古代人には人権なんてものはない。

僕の全てがさらけ出されることになる。

だから普段からそういう可能性も視野にいれて書くのも一考すべき課題といえる。


え?

未来人じゃなくて今読んでる読者を気にかけろって?

フフフ。

まさにその通り。


では現代のあなたへ。

僕のエッセイは遠い未来で発掘される予定なのでコメントを残しておくと未来人が読んでくれるかも。
そしてそこからあなたのアカウントも復元されるかもしれない。
これは後世にあなたを残すチャンスだ。

くれぐれも現代人がアホだと思われない知的な文章で頼むよ。
まぁ未来じゃ現代の常識が非常識になっている可能性も高いから何を書いても一緒か。
自由に書き殴ろう。


さぁ未来へ向けてメッセージを残せ。


ではまた。




次回予告(ウソ)

「ぜんけい 未来で復元されるべき100名に選ばれる」

の巻き。

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