見出し画像

原点回帰

行き詰まったら原点回帰。

しかし その原点はどこにあるのか。

さらに その原点が正しいとなぜいえるのか。

そう屁理屈をこねたい。


あ、別になんにも行き詰まってないんだけどね。


なんかふとそう思ったんだ。

初心にかえるってのもほぼ同じ意味だね。

初心が正しいとなぜいえるのか。

そもそも経験を積んでから初心に戻ることは果たして可能か。

またしても屁理屈をこねたくなる。


僕の悪いクセだ。

よく「揚げ足をとるな」と言われる。

僕にはそんなつもりはないのに。

ただ疑問点や矛盾点が気になってしまうだけ。


え?

大人は思ったことを軽々しく口にしないもの?

なんだそれつまんね。

大人になることが良いことだと誰がいった?

大人が正義で正しいとなぜ勘違いしたのか。

あぁ屁理屈が止まらない。


それなら無邪気な子どもの方がよっぽど正しい。

僕は気になったことは言いたいんだ。

これが原点子ども回帰であり初心子どもにかえるってことじゃないのか。

原点や初心が正しいとは限らないけれど、腐ってしまった大人よりは少しマシなんじゃない?


なーんて僕のエッセイには似つかわしくない真面目な内容で幕をあけたこの記事。

お、真面目回か!?と思ったかな?

あまい。

たまにはそういう路線もいいかなぁとは思うけど僕が言っても説得力がない。

いや 説得するつもりもないんだけどね。

ただただ言いたいことをいうのが「ぜんけいのエッセイ」である。

えっへん。

しかしこれエッセイは原点ではない。


僕がnoteを始めたときは読書術やダイエット記事を中心に書いていこうと思っていたし 小説も書きたいと夢見ていた。もちろん有料記事も視野にいれてね。

今じゃ毎日謎のエッセイを世に送り出す怪人と化してしまった。

もし、今原点回帰したら。

恐ろしくつまらん記事が仕上がるだろう。

そんな根拠のない自信がある。


だから僕は原点回帰はしない。

そのかわりに

今を原点とする。


もし僕がnoteから距離を置くことになり ウジウジした毎日を送っていたなら。

その時こそ原点回帰でnoteエッセイにかえる。

だから今は原点作りの真っ最中。

未来の僕はこういうだろう。

「今の僕があるのはあの時 毎日エッセイを書いていたからだ」と。


え?

そんなカッコつけられるような記事なんて書いてないだろって?

ハッハッハ。

そう慌てるでないわ。

これから書いていくんじゃないか。

話聞いてた?

今 原点を作ってるって言ってんじゃん。

これからは毎日が真面目回だね。


いやぁ原点を作るってのも楽じゃないね。

でもこれは将来への投資だ。

頑張れ僕。 
きっと役に立つときがくる。

これからも世の中の揚げ足をもぎとってエッセイにしていくんだ。

noteの端っこで毎日エッセイ屁理屈を書く怪人。


なかなか悪くない。

あなたの周りにも「揚げ足をとってくれー!」と叫ぶ事象がゴロゴロしているはず。

さぁじゃんじゃん揚げ足を収穫しよう。

そしてエッセイ屁理屈を書くのだ。

その時 あなたは立派な怪人の仲間入り。

そこがあなたの原点となる。

ワクワクしてきたでしょう?

そのワクワクを羅針盤にして書くのだ。

あー楽しみ。

ではまた。





次回予告(ウソ)

「ぜんけい 原点を見失いパニックに」

の巻き。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?