27人の仲間があの世でみている 北新地放火殺人事件の被害者と加害者に捧げる。

先日書いた続きを書こうと思います。

が一点、僕はnoteで不特定多数の人間に自分の人生をおっ広げたくない。

でも、27人の人生が突然終わりをつげて運良く生き残った僕は何をすれば良いんだろうか。

毎日を楽しく生きることなのか、彼等の無念を胸に生きれなかった人の分まで金稼いで、泣いて笑って、挫折する事が供養になるのかは分からない。

でも、皆が生きた証そこに通っていた人々に対して出会いや、思い出を書くことは出来るはず。

ただ不特定多数の人々に読んでもらい、僕の考えを湾曲された形で理解されたくない。

なので、この記事は一部有料化する事で読み方を言い方は悪いけど選別する事にします。

勿論、人が死んだ話を金儲けに使うのかと不快に感じる方もいるでしょう。

ごもっともだと思いますし、僕はアナタの考えを否定しません。

しかし、これは僕の人生において重要なターニングポイントで鬱病になった経験と、いわゆる自閉症だった事実を知り、落ち込んで人生に絶望し懸命に這い上がろうとしている最中、私の逃げ場同志達が集う場所が無くなり一人で生きていかねばならないこの話は、簡単に人に伝えたくない。

僕の人生について、そして何を思うかをお金と言う契約書を出して読んて頂きたいと思います。

あと、最後に一緒に通っていた方々の話や名前は一切出しません。

ご存命の方や、通っていたことを隠して生きている方もいるはずなのでそこは何も言いません。

長々と話しましたがこれからが本編。


ここから先は

2,786字

¥ 300

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?