自分の感情を我慢すること。
撒き方を変える
もう何年も同じことばかりしてきていて
結局、うまくいかなかったことがある。
絶対に、私は、その信念のような決心のようなものに負けちゃうのである。
「自分の感情を我慢すること」
だからもう、自分の感情は、生き埋めにはしない。
だって、どうせ負けちゃうもん。
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一旦、良かれと思って、我慢をしてみる。
「私が我慢すれば、この場はおさまる」
「私が我慢すれば、相手は不愉快にならない」
「今、これを伝えちゃうと、きっと、鬱陶しがられてしまう。。」
ものすごーーくしょーもないことから、大きなことまで、我慢を、一旦してみる。
我慢すると、場が良くなると思っていた。
うまく我慢できていると持っていた。
だけど、
我慢しているエネルギーみたいなもんは、
私の中で、じわじわと成長していって、
いずれかのタイミングで爆発をする。
もしくは、関係ない人のところで溢れ出させる。(迷惑
これを何度も、繰り返してきている。
我慢なんてもんは、結局し切れなくて、相手がすんげえ忘れたタイミングで言っちゃうんだよ。
しかも今ここ??ってタイミングで。笑
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今までの押し込めた気持ち
我慢していた気持ちを
もはや我慢できない段階になってから、吐き出す。
我慢し続けると、麻痺が起こったり、
とめどなく溢れて、
やばいことになったりする。
相手からしたら、『はてな?』である。
だって、頼まれてもいないのに勝手に我慢しているんだから、
一体何が起こったのか、わからん。
そして、相手も傷つくし、私も、理解してもらえなくて傷つく。
これが私の繰り返してきた失敗だなと思っている。
アホかな。。笑
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沸いてしまった感情は我慢できない。
それが攻撃にならないのであれば、伝えたほうがいいのではないか?
感情を押し殺すなんて、大人な小技は、私にはできないのではないか?
そんなことに気がつき出した。
去年である。
ええ。ついこないだである。
それまでは、我慢できていると思ってたから、滑稽。
少しづつだけれど、伝えたい人には、伝えるようにしてみている。
記事にしてみたり、
直接、自分が悲しいとか、腹が立つとか、嫌だなって思ってしまったことに関しては。
なるだけ、言葉を選びながら。
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そうすると、冷静になれるのである。
伝えれたことで、私の欲望みたいななんか、どろヘドロみたいな形だったやつは、
可愛いチワワとか、ポメラニアン的なふわふわした形に変わるのである。
いや、ほんとすんげー苦しいんですよね。
本心を伝えるって。
「あのね・・・」って言ってからが、長いんですよ。(ウゼェ
スラスラ言えている時は、言う前の準備段階で、一旦このように記事にしている。
相手を傷つけたくないし、
自分の気持ちを違わずに伝えたい。
伝わるかどうかはわからないし、
自分のことですら、理解できないのに、
他人に自分を理解してもらおうなんて、
甚だ烏滸がましい。(おおむつかしい漢字だ
でも、
伝える努力はしたいのである。
それで、ダメなら、諦めるのである。
3%くらい、伝わればいい。
伝えたってことだけで、実は、百点満点なのである。
私は、こんなふうに思って、悲しかった。
本当は、こんな風にして欲しかった。
もう、自分の気持ちをごまかさない。
真っ直ぐ、自分と、相手と向き合うのである。
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自分の子供を見ていて、すごく思う。
このまま、自由で、あれ。
生きたいように、やりたいように、
自分も、他人も、大切にできるように。
そうするとね、洗い立てのポメラニアンみたいに、
ふわふわ軽やかになれるんですよ。
いや、かったことないから知らないんだけどね。