感じたこと・願い
一般的?個人?の「常識・普通・正義」などは、個人の経験か他から得た情報でも個人が理解できる情報で作られると思います。
だから理解できない「精神疾患の人」は「常識・普通・正義」ではないと思われていると思います。
「精神疾患」はなりたくてなっているわけではないし、精神疾患になってからの行動もそうしたくてしているわけではなくてそれしかできないんです。
今がつらすぎてとにかく救いを求めた結果よくなかったんです。
例えですが、今まで温厚だった人が病気などをきっかけに急に怒りっぽくなるなどの話を聞いたことがありませんか?
精神疾患もちかくて「精神疾患にもなりたくなかった」ですし「精神疾患になってからの行動も自分の思い絵がく行動じゃない」んです。
性格・感情を仮に球体と考えると、肉体的な病気だと球体の数センチ外側に自分の性格・感情とは違う「膜」のようなものができます。
自分の性格・感情はその膜を必ず通過してから外(周りの人など)に出ます。
なので元の性格・感情があってもその膜を必ず通過するので元の性格・感情とは違ってしまいます。
不定期に元の性格・感情の球体が膨張し「膜」を超えることがあり、その時は自分本来の性格・感情でいられます。
精神的な病気だと、その「膜」が元の性格・感情の球体から0距離で元の球体とくっついてできます。
その膜は「やる気や活力など」を吸収し膜の強度を上げ、さらに元の性格・感情の球体に良くないエネルギーを注入するんです。
精神的な病気の膜は収縮するため、いくらやる気や活力などで球体が膨張しても膜の大きさは元の性格・感情の球体の大きさに合わせて変化するんです。
なのでずっと本来の自分と違うんです。
また例えで申し訳ないのですが、スタートからゴールまでの距離が10kmだとして、10km先だとスタートしてもゴールは見えないから「先にゴールがある」と信じて歩んでいくのですが精神疾患になると「ゴールは無くされて道しるべもおかしな位置に変えられちゃうんです」。
スタートから10km先がゴールだと思っているから10kmを歩むスピードとペースで歩みます。
精神疾患になって知らないうちにゴールは無くされて道しるべもおかしな位置に変えられてしまっていて、ゴールが無いことを知らないから歩み続ける。
ゴールが無いから10km以上歩んでもゴールは無いしすごくよくない道に誘導される。
精神疾患になって歩んで疲れたら止まるの繰り返し。
大丈夫と思ったらまた歩むが疲れが蓄積しているからどんどん一度に歩める距離は短くなる。
たまにいつもより回復して少し長い距離を歩める。
その歩める距離に幅があるのも要因で「さぼってる、怠けてる」と思われますが「違うんです! 自分でも自分が情けなく思うし、長い距離を歩もうとしても歩めず、この動きしかできないんです。」
自分がこれらの投稿で言いたいことは「精神疾患を理解してみよう」と思っていただきたいんです。
自分は精神疾患がつらすぎるものだと思っているので「実際に経験もしてほしくないです。」
精神疾患の全てを理解できないでいいので「理解してみよう」と思っていただけたらありがたいです。
上から言っているように聞こえてしまっていたら本当にすみません。
そんなつもりはないです。
精神疾患でも生きずらくない世の中になってほしいんです。