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父の家出と、民宿(エッセイ)

旅から、帰ったばかりだが、
久しぶりに、私としては、遠出して、若干の疲れが出た。
今年の秋は、なぜか、暑さが残っている。といいつつ、朝晩は、
冷えてきている。旅の服装も悩み、私は秋服で出かけて、歩き回り、汗だくになってしまった。
おまけに、私は、荷物が人より多い。もちろん、駅のロッカーに入れたが、ガイドブックなどを持ち歩いた。 他の観光客を見ると、
手ぶらか、小さいカバンしか持ってない。 次に旅する時は、私も
最小限の手荷物にしよう❗と、
決心した。


さて、「父の家出」の話である。
父は生前、定年退職してから、
家にいることが多くなった。いわゆる再就職も、しなかった。
何をしていたか? 毎日、朝5時に起床して、1時間の散歩に出る。
帰宅すると、朝刊をしっかり読み、母が用意した、朝食を食べる。(トースト、サラダ、目玉焼き、コーヒーなど) その後、庭に作った、ミニ畑でナス、トマト、きゅうりなどの手入れをする。

午後からは、読書の時間。
父は退職してから、自分の好きな本ばかり読んでいた。主に、日本の歴史書である。愛読書は、
雑誌の「歴史読本」。だから、大河ドラマも好きで、良く見ていた。私も最初は、仕方なく一緒に見ていた。(子どもには、訳が分からず、面白くなかった) 私が、大河ドラマを見て、最初に面白い❗と思ったのは、最近、亡くなった西田敏行さんが豊臣秀吉役、正室のねね役が佐久間良子さんが演じた「おんな太閤記」だった。
西田敏行さんの、賑やかで賢く、
ねねに頭が上がらない、秀吉役が
本当に面白くて、大河ドラマを見て、初めて笑った記憶がある。
しかし父は、面白い場面を見ても、笑わない。
この人は、何が楽しくて、生きてるのか? とこどもながら、思っていた。

私が学校に行ってる時間は、父は、母と2人きりである。(母は、結婚してから、ずっと専業主婦)
母は、結婚するまでは、正社員として、長く働いていた。
父は、まさに「昭和の父」だった。家事をしない、男子、厨房に入らずを地でいく人だった。
やはり、用がなければ、母とも話をしない人だったようだ。

そんな父が、たまに、いなくなることがあった。父は、夕方の散歩に行くことも多かったが、
夕食の時間になっても、帰ってこないのである。
「お父さん、またいないよ。」と私。夜6時を過ぎると、母は言った。「また、お姉さんの家に行ったのね。」 全く、動じない母であった。 父は、散歩に行く時や、他の外出も、何も持たない。(財布と鍵だけ)
私と母に黙って、手ぶらで家出するのである。 父のお姉さんの家は、実は、関西のある街で、
民宿をやっていた。だから、泊まる部屋も、いつもある。
父は、着替えも持たずに、たぶん、手土産も持たずに、いつも突然、訪問❗していたのである。
そして、必ず1泊して、お姉さんの顔を見て(他愛ない話をして)、
またふらっと、帰ってくるのだ。

そしてある時、父が玄関から、出かけようとした。
私は、いつもの散歩ではない?雰囲気を感じた。
「また、伯母さん(父のお姉さん)のところへ行くの?」と、私は、父に尋ねた。すると父は、
「一緒に来るか?」と言ったので「うん。」と答え、私は父の家出に同行することに、なった。

父のお姉さんの家は、電車で90分くらいのところだった。観光客も多い街で、あちこちにホテルや宿がある。 父のお姉さんの家である、民宿は、小さい宿だが、
木造ではなく、一応鉄筋コンクリートの2階建てだった。
民宿なので、お泊まりセットは、いつも用意があり、だから父は、手ぶらだったのだ。そして私も、手ぶらで父についていった。 
今は、考えられないが、
私は、自分の着替えも持っていかなかった。(おまけにこどもなので、お金もない)。 父とはぐれたら、私は完全な迷子になり、家出少女になるところだ。

その家には、私と年が近い、従兄弟が2人いた。 しかし、あまり
私は、話をしなかった。一緒に遊んだ記憶もない。昔から私は、
男子と話しをするのは、実は、苦手だった。(しかし、スポーツは見るのも、やるのも好きである)。

私は、ただいつもの家から、離れて、他所の家でご飯を食べて、寝るのが、気分転換になり、なんとなく、楽しかった。
父は、仲の良いお姉さんの顔を見て、話しができるのが、やはり、
気分転換になったのだろうと、
思う。  父と母は、年が離れている。(夫婦として)
最近、気づいたのだが、母は、
父と仲の良かった、お姉さんに似ている?のかなあと、思った。
母が年をとった姿を見て、そう感じている。

父のお姉さんは、父が亡くなった3年後に、亡くなった。
だから、父の一周忌に参列してくれて、その時に私は、その伯母さんから、きれいな黒のワンピースの喪服を頂いた。(夏用)
生地も良いもので、今も大事に持っている。(サイズも、私に
ピッタリだった)

とにかく、家で無口で、しゃべらない父は、お姉さんと話している姿は、笑顔?だった記憶がある。
一緒に出かけても、ジュース1つ買ってくれない父であった。
(経済的な理由ではない) こどもに、何か買ってあげる、と言う発想がない人だった。

面白くない、父の家出に私は、なぜついて行ったのか?と思う。
たぶん私も、いつもとちがう、
こことは違う、何処かへ行きたかったのだ。 そしてまた、母の待つ家へ帰り、母は何も聞かず、
「おかえり。」と、父と私に言った。

帰る場所があるから、人は、旅に出たいのだと思う。
(家出は、違うかもしれないが)

人生も、きっと旅だ。
一人で行くのか、誰かと行くのか。明日も、また新しい旅になる
気がしている。



最後に、彼らの歌をまた聴きたいと想う曲を。
(小田和正さんが、10年に一度でる名曲とコメントされた)



あの頃の 未来に 
僕らは 立っているのかなぁ
全てが  思うほど  
うまくはいかない みたいだ

あれから 僕たちは
何かを 信じてこれたかなぁ

夜空のむこうには

もう 明日が 待っている
(SMAP🎵夜空ノムコウ)



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