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みんなちがって、当たり前(エッセイ)
7月になりました。梅雨入りして、私は、少し体調も不安定になりました。
皆さんは、いかがでしょうか。
私は、こどもの頃は、雨が降ると、お気に入りの赤い傘をさして、学校に行くのが楽しみでした。ついでに、赤い長靴もはいて、しとしと降る雨音にホッとしたり、していました。
この数年は、雨が降ると土砂降りで「線状降水帯」などという、
言葉をよく聞いて、雨の被害もふえました。学校が夏休みになる頃に、多くの所で、梅雨明け?かなあと思います。
さて、金子みすゞさんの代表作の詩「私と小鳥と鈴と」があります。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
「私と小鳥と鈴と」(金子みすゞ)
私は、この詩を読んだ時に、共感と違和感を同時に、感じました。
そもそも、人間と、鳥は、同じ生物だが、全くちがう。
鈴は、生物でなく、静物だ。
(動かないもの)
同列に、並べるのは、おかしくないか?と。
それで、私が思ったのは、
みんなちがって、みんないい、ではなくて、
「みんなちがって、当たり前」です。くらべる必要もないし、
敢えて、良い、わるいと定義しなくてもいいのでは、ないかと。
ただ、それがあることを認めれば良いのではないか。
私は、女子としては、身長が高くて、中学から高校にかけて、
身長が伸びて、学校の朝礼などで、整列すると、一番後ろになりました。しかし、私の親しい友人は、なぜか皆、身長が低くて、
列の一番前でした。友人は、低い身長のことを嘆いたこともないし、私に「高くて、いいなあ」と言ったこともありません。
私も友人を、「小さいから、かわいく見えるのかなあ」などと、思いませんでした。
外見は、人の第一印象で大事だと言われますが、本当は、
第二印象、第三印象まであるそうです。 第二印象は、その人の言動、最後の第三印象は、付き合う時間です。(そばにいて、どんな感じか)
私は、最近、第一印象の良い人が、その言動にショックを受けました。(よくない意味で)
だから、外見だけで、判断できないのだなあ、と強く感じました。
私は、友人になるときは、
「この人と友だちになりたい❗️」と強く思うことはなく、気がついたら「なんか、話し合うなあ」とか、「なんか楽だなあ」みたいな
感じで、結果的にそんな風に、付き合える人が、長続きしてるなあ、と思います。
正直に言うと、私は、
「本当の友人」は、人生で一人か二人会えば、良い方だと思っています。 「愛する人」に、出会う確率と同じではないかと。
私は、いろんなことに自信がありません。ただ、自分が「これは、好き❗だ」ということには、
迷いがありません。
人がなんと言おうと、流行も関係なく、「好き❗」の気持ちには、
少し自信があります。
できれば、自分の好き❗なものの、良さや、楽しさ、素晴らしさを人に伝えられたら、そして、
(お世辞でなく) 共感してもらえたら良いなあ、と思っています。
もちろん、好きになれない、興味ない、でもいいのです。
私も、人の全てに共感できないので。
ただ、自分は好きじゃないけど、
その人の「好き❗」な気持ちは、尊重したいなあ、と思います。
NOTEで、皆さんのいろんな投稿を、日々見せて頂いてます。
私は、文章の他に、(絵が苦手ですが、見るのは好きです)、イラストや写真も、楽しみに見ています。
ただ、そこにいることを、あることを、認めれば良いんじゃないか。
私の尊敬する、牧野富太郎博士の言葉です。
「雑草という名の植物はない。」
昨年の、NHKの朝ドラ「らんまん」で、神木隆之介さんが、
日本を代表する、植物学者「牧野富太郎」博士の一生を演じました。私は、牧野博士のエッセイ
「好きを生きる」(2023年1月発行、興陽館)を購入して、
ドラマと同時に読んで、牧野博士の生き方に感銘を受けました。
私も、好きなことを追求して、生活しよう。と、心底思いました。
自分は、もしかすると、なにも力がない、草花かもしれないけど、
ただ、そこに生えてるだけで、
良いのかも。ただ、本当は、人間だから、自由に動くことができる。なので、最後に、皆さんに一言を送ります。
「好きにやったら、ええねん❗️」
です。
最後に、この季節にピッタリの詩を。梅雨から、夏に向けて、
爽やかな風が吹く歌です。
紡ぐよ でこぼこな この道に
降り注ぐ 雨燦々と
悩ましく 生き惑う 僕らの
悲しみさえも 水に流してゆく
錆びついた 自転車を 走らせて
君へと 向かうのさ
雨に濡れながら 帰ろう
(King Gnu🎵雨燦々)